【 奨 励 賞 】
「なんでうちの会社に入ったの?」就職して会社で何度言われたか分からない。私のプロフィールを聞いた人は必ずといって良いほどこの疑問を投げかけた。
大学院ではアフリカ熱帯雨林に赴き、ある民族について人類学的研究をし、修士号を取った。多くの仲間が博士号を目指す中、私は研究を途中で辞めて一般企業に就職をした。26歳大学院生、研究者としての肩書きもなし、苦しい時期だった。そんな時に母が病気になり、いつまでも親に頼っている自分が申し訳なくなった。一方、就職した友人たちは着実にキャリアを積み、結婚などもしていていく時期だった。自分と比較し惨めになった。先が見えず、社会人経験をしないまま年を重ねることが不安で仕方なかった。
研究活動の傍ら就職活動を始めたところ、運良くアパレルやシューズを作るメーカーの採用が決まった。会社との出会いも運だったと感じる。営業に配属され、目まぐるしい日々を送った。仕事は充実していて、何より共に働くメンバーに恵まれた。指導係の先輩は厳しく、悔し涙を流したこともあったが、私の一番の理解者だった。もしまた新入社員として働くなら、ユーモアと笑いに溢れたあのメンバーと仕事がしたいとさえ思う。予算のプレッシャーはあったものの、顧客の意見を聞きながら製品をつくり、ユーザーに喜んでもらえたことが何より仕事のやりがいだった。一方で違和感も感じていた。会社に入ってから物事の本質や真理について深く考え、答えのない問いに対して自問自答する機会がなくなっていることに気づいた。当たり前だが、人間が生きることとは何か、そんなことを考えなくても仕事というものはできるのだった。
そんな時、転機が起きた。組合活動でスリランカに行った。そこで出会ったNGOの活動と村の人々が私の進路に大きな影響を与えた。ホームステイ先での別れ際、スリランカとアフリカの村の人々を重ね合わせ、感謝と寂寞の思いが溢れ、涙が止まらなかった。もう一度アフリカに行きたい。もっと私にできる研究があると確信した。とはいえ、帰国後、数ヶ月悩みに悩んだ。石の上にも3年、まさかこんな時期に退職を考えるなど自分でも思ってもいなかった。しかし、思い返してみると就活をしていた時の私の軸の一つは、アフリカのフィールドの人たちだった。彼らに誇りを持って説明できる仕事がしたい、彼らの生活と矛盾しないような仕事に関わりたいと考え選んだ。だからこそ、「なんでうちの会社に入ったの?」という言葉は私にとっては幾分ナンセンスだった。幸運にもフィールドの人たちに誇れる仕事をすることができた。考えた末、2年で会社を辞め研究の道に戻ることにした。
最近の若い人は安定志向で出世欲がないとか、すぐ転職するとか言われる。しかし、完璧なんてない。仕事や生活を考える時、きっと多かれ少なかれ、みんな何かを我慢したり、犠牲にしたりして何かを得ている。私は今、アルバイトを掛け持ちしており、経済的には楽ではないが、新たな気持ちで久々の研究生活を楽しんでいる。これまでの経験を経て、以前に比べて周りの環境や自分の心のコントロールができるようになってきたとも感じる。
会社で働いたからこそ、働くことの大変さや面白さを味わうとともに、自分の役割を認識し、研究の重要性に気づくことができた。研究から会社へそして、また研究へ、人生には色々な出会いと転機があってどうなるか本当に分からない。道は真っ直ぐでなく、絶対的ゴールがあるわけでもない。重要なことは、その時々の出会いに感謝し、経験を大切にすること、そして、自らの進む道や人生のテーマについて常に考え向き合い続ける姿勢なのではないかと思っている。退職する際、たくさんの人が応援し、送り出してくれた。温かい気持ちを胸に、アフリカの村の人たちに「ただいま!帰ってきたよ!」とこの2年あったことを語り合うのが楽しみである。