【 奨 励 賞 】
僕は、広告会社に勤めるサラリーマンだ。勤務地は新橋。今年で5年目になる。
どうして、その会社に就職したかというと、トントン拍子に面接が進んだからだ。
「え、それだけの理由?」と思われるかもしれないが、その通り、それだけの理由だ。以前からそうだったし、今もそうだけれど、僕は広告というものが好きではない。嘘はつきたくないから、面接でも広告が好きとは言わなかった。
そもそも僕は、もともと弁護士志望で、それから官僚になろうとし、でも、結果としてうまくいかなくて民間への就職活動をし始めた口だ。元来の志望が叶わなかったのだから、業界を絞らずに広く応募した。「自分の適性は面接官が見抜いてくれるだろう。それは、自分の判断よりも正しいはずだ」と思っていた。だから、面接がスムーズに進んだことが決め手になったというわけである。それだけで、就職する理由としては十分だろう、と。
さて、広告会社で働いているのはいいとして、働き始めてからの変化を記しておきたい。仕事で専門的、技術的な力がついてくるというのは当たっていて、確かに嬉しいといえば嬉しい。そして、必ずしも仕事内容が好きではなくても、仕事をすることはできるということも学んだ。ただ、一番の大きな変化は美術が好きになったことだ(繰り返し言うが、広告は好きではない)。理由はいろいろ考えられるけれど、芸大や美大出身の方たちと触れ合い、影響を受けたことが大きかったと思う。学生時代まで受けてきた美術の授業が退屈で仕方なかった自分が、そんなふうになるとはまったく想像していなかった。この想像できなかった世界が、自分をどれだけ豊かにしてくれたことだろう。ドラクロワに始まるロマン主義からクールベの写実主義、そしてモネに代表される印象主義へといった美術史を学ぶことが楽しいし、実際に美術館に行くこと、美術品を購入することも大好きになった。
働くことが尊いことだとは、必ずしも僕は思わない。どうしてかというと、働かなくても法律違反ではないし、基本的人権、生存権は憲法で保障されているからだ。人は豊かさを求め、働かなくても生きていけるような世界を実現しようとしている。AIだって、その一例とみることができる。
ただ、働くことでしか見えないものがある、というのはその通りだと思われる。働くことで、新しい自分をつくっていくことができるからだ。僕の場合には美術を好きになったことだが、それは、仕事で立派な業績をあげることよりも格段に喜びのあることだと感じている。
だから、働くことに迷っている人がいるとして、僕から伝えられるアドバイスはこんなふうになる。希望する職種につけなくても良い、仕事に乗り気でなくても良い。とりあえず、働いてみてはどうだろう?あなたの人生という、一度きりの作品をつくるために。