【 奨 励 賞 】
私は小学生の頃から吃音がある。小学生から中学生までは辛く寂しい思いをした。しかし高校生になってからは、ありがたいことに周りの人たちに恵まれていたおかげで、徐々に症状は落ち着き毎日楽しく過ごすことができた。大学生の頃、やっと吃音と向き合う覚悟ができ、図書館で吃音の本を読んだ。治療法や治療薬はまだ無い。吃音であることに生きづらさを感じることもあるが、個性の一つだと思うことにした。
大学卒業後、非正規雇用として働くことになった。周りの友人のほとんどは正規雇用で働くことになっていたが、あまり自分の中でそこにこだわりはなかった。
入社してすぐの部署は、外部からの電話が毎日のようにあった。それまではほとんど治まっていた吃音の症状が日に日に悪化した。電話が鳴る度、全身が震えた。しかし、吃音という症状を知っている人がいなかったためある上司から、
「どうして電話もまともにできないのか」と言われた。あまりにも唐突に言われたためその場で私も「吃音があります」と打ち明けることはできなかった。入社から半年後、異動になった。
次の部署での仕事は、会計業務と植物の栽培業務だった。そして何より、あまり電話がかかってこなかった。かかってきても、ほとんど上司への取次だった。だからとても安心して仕事をすることができた。
会計業務はやったことがなかったため、上司に一から教えてもらった。元々、数字には強い方であり、請求書作りや会議資料を作るのは楽しかった。植物の栽培も一から栽培責任者に教えてもらった。毎日職場でトマトを見ていると、育っていく様子がよく分かった。それは、スーパーで何気なく買うトマトは手間とお金がかかっているということを気づかせてくれた。
栽培の仕事をすればするほど、栽培技術をもっと高めたいと思うようになった。自分で本やネットで勉強もした。異動して半年が経って、やっとやりがいというものを感じるようにもなった。以前の部署にいた頃は、目が覚めた途端憂鬱で仕事に行きたくないと毎朝思っていた。しかし、やりがいを感じるようになってからは、土日の休みの日ですら仕事に行きたいと思うようになった。
私のように吃音がある人や、人付き合いが得意ではない人にとって農業は合っていると気づいた。多少の重いものを持ったり、夏の暑さや環境によって思うように収益が伸びないこともあり、大変な仕事ではある。だが、心がとても穏やかになれる。
そんな天職のような仕事も、無期転換回避のため四年で雇止めに遭った。あまりにも悔しくて悲しくて、しばらく立ち直ることができなかった。スーパーで売られている野菜を見る度、心が苦しくなった。
辞めて一年が経とうとしたとき、再び農業がやりたくなった。同時に、新たな夢ができた。それは、自分のように生きづらさを感じている人が少しでも生きやすくなるような社会にしたいということだ。吃音があっても、人付き合いが得意ではなくても、何か一つはその人にとって得意なことがあるはずだ。それを発揮できるような場が必要であると思う。
無理に苦手なことをさせて辛い思いをさせるよりも、それぞれが得意なことをやり、他の人の不得意な部分を補えばいいのではないか。結果的にその方が効率よく働けるのではないかと思う。私はそんな社会になってほしいし、そんな社会作りに貢献したい。また、吃音は吃音者でない人にはまだ症状を正しく認識されていない。吃音という症状を広めて一人でも多くの吃音者が自分らしく輝ける場所を作る活動を行っていきたい。