【 奨 励 賞 】
私は大学を卒業して、高校の教員になった。大学4年次の春・夏は採用試験合格を目指して、大学に通いつめ、友人と共に勉強や模擬授業・面接練習に励んでいた。教員を目指した理由は、ありきたりだが高校時代にソフトテニス部に所属し、部活動にあけくれ、自分にとっての高校3年間の全てが部活動だった。お世話になった先生に、「良い選手より、教える側が向いている」と言われ、自然と教員を目指すようになった。
晴れて、夢を叶えることができたのだが、地元を離れ、都会での教員生活はただただ挫折の日々だった。教科を教えるにしても、部活動を教えるにしても、生徒と信頼関係を気づくにしても ...。やる気のない生徒に注意して反感を買い、雰囲気が悪くなる。自分の教わった授業、夢中になった部活動、尊敬した教師を思い出し、真似していた。しかし、まったくもって上手く行かない。今思えば、当たり前だが、私がベテラン教師の生徒への接し方を真似しても、上手く行かない。当時の私に足りないものは、私が受けてきた管理的要素ではなく、支援的要素であるが大切だと分かっていたが、自分がこれまで培ってきた価値観とのギャップに悩み、生徒からの小さな不満にいちいち傷つき、苦しんでいた。過敏になっていたなぜ、自分ばかりこんなに反感を買うのかと本当に毎日悩んでいた。
しかし、ある時、他校の先生といろいろ話すことがあった。その先生は私から見て、上手く行っているように見える。その時に「真剣に向き合えば向き合うほど、ぶつかることもある。悩むこともある。教員とはそういうものだ。悩みは尽きない。」というようなことを言われた。こんな立派な人でも悩むだから、「悩むのが当たり前なんだ。」「人は機械じゃないんだから、スムーズにいかなくて当然なんだ。」と思った。私はこれまで、自分の思うようにできない自分を教員に向いていないと自己否定ばかりしていた。しかし、しばらくして俯瞰して自分を見れたとき、自分以外の先生も生徒と時にぶつかり合っていることもあることに改めて気が付いた。そして、自分を慕ってくれたり、感謝してくれたりする生徒がいることにも目を向けることができた。
少し冷静になると、同じような問題が起きても、私の受け止め方が変わり、以前よりも生徒に応じて対応できるようになった。教育とは、学んでも学んでも終わりがない。しかし、悩んで悩んで、その都度ベストな対応をしていくうちに、教員として成長していくと自覚を持てた。
働くことは悩んで当たり前である。しかし、壁にぶつかったときに自分が成長することができる。働くことで、自分を成長させることができると私は思っている。