【 奨 励 賞 】
水曜日の朝7 :40。家のそばを小学生が駆けていく。私は快適な布団の中で「いってらっしゃい」とつぶやく。元気な声だけが聞こえてくる。うつむいて歩く子供の心の声など私の部屋には届いてこない。
今の私は週休3日。週24時間(6時間×4日)働いている。時給は県の最低賃金。同僚は子育て中の女性がほとんどだ。一方で、私は独身で子供もいない。同世代の友人と比べれば、所得はかなり少なく、余暇時間はかなり長い。貧しいけれども、経済的に自立し、健康で文化的な生活を送っている。全ては私が選んだ結果だ。
さかのぼること10年ほど前、大学を卒業した私は、当時流行りのソフトウェア会社に入社した。朝から晩までパソコンに向かい働いた。それは当たり前のことで、疑問など持たなかった。その仕事を辞めた日、私はランドセルを背負った小学生を見て涙がこぼれた。
働き始めてから、何度彼らを目にしたのだろうか?私は彼らが出かける前に出勤し、彼らが寝入った後に仕事を終えていたのだ。学生の頃にぼんやり思い描いた「社会に貢献する」とはこんなに孤独なことなのか?疑問があふれ始めた。
新卒で入った会社を辞めてから、いくつもの仕事を転々とした。
周囲の人間には心配をかけた。私も不安だった。
自分にこなせる仕事はないと不安になった。
それでも、今はある会社で勤続6年目だ。
今の仕事がなぜ続くのか?
それは、私が自分の限度を知り、無理をしなくなったからだ。いくつかの会社を経験し、私は理解した。「正社員」は私にとって「無理」だった。正社員の仕事のほとんどすべてが1日8時間、週5日の勤務時間だ。残業ももれなくついてくる。会社や仕事内容に関係なく、週40時間働くと、私は休みの日に動けなくなる。心身ともに疲れきるのだ。そして仕事を続けることが困難になる。
私は学校の中では、ほとんどすべて上手くこなしてきた。学校を卒業して初めて、みんなができているのに私にはできないことに出くわした。それを認められず、無理をしてみんなに合わせようとしていた。「みんな働いているんだから、私にもできるはずだ。でも、なんで私はこんなにつらいのだろうか?」
そんな私に友人は言った「人によって眠る時間、食べる量が違うように、働ける時間も違うのよ。」
その言葉で私はあきらめた。みんなに合わせようとするのを止めた。今は、みんなとは違う価値を提供することに力を注いでいる。重機の運転資格を取ったり、ソフトウェアの知識を活かして在庫の管理をしたり。出勤時間は短いが、他の従業員ができないことをやれる人を目指している。
今の日本で、私は自分で仕事を選べる。仕事を探すとき「正社員」や「有名企業」といったフィルターを外せば、お金を稼ぐ方法は無数に存在する。むしろ私にとって仕事を続けるのに大事だったのは、「短時間」というフィルターであった。自分の限度を知ってから、私は安定した収入を得られるようになった。短時間勤務なら、途切れず働き続けることができた。
今後はインターネットを使い、完全に在宅でできる仕事にも挑戦してみるつもりだ。家での勤務なら、私の労働時間の限界が変わるかもしれないからだ。
人と違うことをすれば、みんなと同じような生活ができないこともある。周りの人から批判されることもあるだろう。だからといってひどい結果ばかりにもならない。私は、みんなと違うことを受け入れて仕事を探したら、年収は上がり生活が安定した。
「人と違っても、あなたに一番必要なフィルターは何?」
仕事探しだけではなく、何かを自分で選ぶ時、私は自分に問いかける。