【 奨 励 賞 】
ちょうど10年経った。
大学を卒業して就職したメーカーを数か月で退職し、ハローワークに通い今の仕事に就いたが、こんなに長く働くとは思っていなかった。私の職場は福祉事業を中心に展開している。子育て支援や高齢者介護事業、障がい者支援事業、環境事業、食事業など多岐にわたる。
確固たる志もなく、流れに身を任せてがむしゃらに働いてきた。仕事が自分を苦しめるだけの存在にしか思えない時もたくさんある。それでも、ほんの一瞬、ほんの微かに、すべてを超えていけそうな確実な感動と勇気をもらう瞬間がある。そんな時は、心というより体の奥のほうでじわじわと温かい血が流れているのが分かるほどだ。野心や野望のない私でも、人間らしさを取り戻せる場所が「働く」ということだと確信し実感する。人間の復興と再生の繰り返しがここにある。
今、私が受け持つ清掃という職場には、多種多様なメンバーがやってくる。障がい者もひきこもりも、生活保護受給者も外国人も、高校生も高齢者も・・・。
ある日、行政の紹介で記憶喪失者がやってきた。駅で保護されたという。過去の記憶はない、本当の名前もわからない、戸籍もわからない。でも本人にとっては過去の記憶の有無は問題ではないようで、思い出すつもりもない。彼にとっては、衣食住を支える仕事と健康な体がもっとも大切なのである。出会ったときは、今すぐにでも働きたいという風だった。
時々、記憶喪失ということを忘れて過去にまつわることを聞いてしまうことがある。
「Kさん、運転できますか?」
「いや、自分が免許を持っていたかどうか覚えてないよ。」
「あ、そうだった。」
笑うしかない。
「でも感覚的にできそうな気がするから、きっと持っていたんだろうね。料理もすごく上手にできるんだよ。体が覚えているものは忘れてない。」
当時、記憶のない人の受け入れには、職場の仲間もさすがに躊躇した。何かあった時の責任の所在が難しいからだ。ただ周りの不安をよそに、Kさん本人が一番あっけらかんと笑って働いてもう1年以上になる。
ここでは、誰にでも必ず役割がある。やりたいことにも挑戦できる。失敗もできる。一旦ひきこもることもできる。家まで訪ねて引きずり出しにいくデリカシーのない人がいるから。面倒くさい仲間のつながりがあるから。来月から2年近く引きこもっていた人が働く予定だ。丁寧な仕事で確かな腕もある若者だから、きっと一緒に頑張れるはずだ。
私は自分のために自分の仕事を探してここにやってきたが、これからは様々な人の仕事と役割を探し続けたい。なければ作り出したいと思う。必ずここがみんなの居場所になるはずだから。そして私もこのごちゃまぜの中の一員であることに感謝したい。人間らしく自分らしく働かせてくれて、ありがとう。