【 奨 励 賞 】
「絆で生きる」
そんな願いを込めて「絆生」とつけた。しかし、その命は長くないとわかった。それは息子の6ヶ月検診のときだった。
「間違いなく筋ジストロフィーでしょう」
一瞬にして頭は真っ白になった。うそだ。まちがいだ。いやだ。そんな気持ちが走馬灯のようにかけめぐった。それから毎日インターネットで病気を調べては絶句した。「寿命」「早死」「短命」次から次へと突き刺さるワード。なんでうちの子が。なんでなんで。こみ上げる感情は悲しみや怒りばかり。頭にのしかかる「治らない」という事実。たまらずキーボードを床に叩きつけた。その音で息子が起き、私を止めるように泣いた。この子には就職も結婚も明るい未来もない。暗さばかりが押し寄せて思わず首に手をかけそうになった。しかし、まっすぐ見つめる瞳に、その手は息子を抱きしめるしかなかった。
これからは息子のために生きる。そう決意し好きな仕事ではあったが退職を申し出た。しかし上司から思わぬ言葉をかけられる。
「大丈夫か?」
上司はわかっていたのだ。私の決意の裏にある弱さ。本当は辞めたくない。でも家族にも会社にも言えない。だってそれは迷惑になるから。だけど上司はそんな思いを汲んで私に在宅の業務を提案してくれた。こうして始まった在宅ワーク。しかし、その時間を捻出することが非常に難しかった。いつだって締切に、息子に、家事に追われていた。
そんなとき会社から一本の電話が入った。上司だった。
「大丈夫か?」
「すみません。なかなか思うように進んでなくて」
「おう、そうか。ま、大丈夫だ!ちょっと延ばしといてやるからよ」
この電話を切ったあと、不思議と心が軽くなっていた。それはなぜかわからない。だけどそんな時は決まっていいアイディアが浮かび、それがまた採用されたりした。おそらく、いや、きっとこれが絆というエネルギーなのかもしれない。
その後も落ち込んだときに限って、あの「ラブコール」がきた。そしてまた前を向ける自分がいた。
いま、思う。あのとき「大丈夫か?」と声をかけてもらえなければ間違いなく退職を選んでいた。そして「大丈夫だ!」と言われてなければ、きっと折れた心のまま机に向かっていただろう。そしてしぼんだ顔のまま、息子と、病と向き合っていただろう。
「大丈夫?」に心を撫でられ、「大丈夫!」に背中を押された私。その言葉に後押しされるように今年、筋ジストロフィーの家族会を立ち上げることにした。私だって救われた分、誰かを救いたい。そう思わせてくれたのは上司だった。
出産を機に仕事を見直す女性は多い。そこには様々な事情があり、辞める辞めないに正解はない。だが、子どものために生きるとは、子どものために諦めることではない。
それを会社側が制度として、誠意として示してくれたら、どんなに働きやすくなるだろう。
絆で生きる。それはまさに働くことかもしれない。
今日もパソコンに向かう私の足にまとわりつく息子。相変わらず歩けないし、言葉も遅い。以前なら周りの子と比べて暗い気持ちになった。だけど、今はもう大丈夫。私には息子がいて、仕事のできるこの空間がとってもあたたかい。それは人と人の絆あってこその幸せ。そんな幸せをかみしめ、今日も絆で生きる。そして絆に生きる。