【 奨 励 賞 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
自分の身体を第一に
神奈川県  七 瀬  椋  35歳

残業、残業、残業。私は身体がおかしくなっていくのが分かった。でもプログラマーという仕事に誇りを持っていた私は、その事実を受け入れたく無かった。平気な振りをして、出社し、自分の椅子に座った。でも、画面が真っ白で何も見えなかった。何度か、手で目を擦ってみたが何も変わらなかった。震えが止まらなくて、今すぐ消えたい気持ちになった。音が聞こえなくなり、私の世界は私だけになった。

どのくらいパソコンの前で固まっていたのかは分からない。「どうかしたのか」という、上司の声で現実に引き戻された。何か言葉を発しようとしたら、目からボロボロと涙がこぼれた。上司の目は怖くて見れず、下を向いた。すぐに医務室に行くことを勧められ、私は医務室に行って先生に相談した。「うつ病の疑いがある」と言われて、そんな良く分からない病気になるはずが無いと思ったのを良く覚えている。

その助言を無視して働き続けた結果、私は倒れ、会社を辞めることとなった。何がいけなかったのか。今考えると、労働状況が悪かったと思う。残業だけで150時間超えは異常だ。休みも月に1日だけだった。どうしてこんなブラックな会社に身を差し出したのか。それは、ブラック会社特有の結束感のせいだと思う。皆が残業しているから、自分だけが休むなんて出来ないと思ってしまうのだ。期日が迫っている仕事を泊り込みで、栄養ドリンクを片手に仕上げる。毎日毎日、ピリピリとしたムード。でも、期日前に仕上がったときは物凄く嬉しい。チームの皆は半泣きで「間に合って良かった」「やったな」と手を取って喜び合う。これを繰り返し繰り返し行うことで責任感や連帯感、結束感を感じさせ、会社が人生になるのだ。

こうして私は、仕事人間になった。趣味も何も無い。テレビを見る時間も無い。音楽は雑音に聞こえ、友人と会う気力も、連絡する気力も無く、毎日天井のシミを見つめ、時々訳も泣く涙を流して。寝るときはこむら返りで眠れず毎日寝不足で。朝になったら、重い身体を引きずって仕事へ行く。この繰り返しだった。会社に行きたくないのに、行かなきゃ行けない。すごく、苦しかった。

35歳の今、もし、あの頃の自分に会えるなら言いたい。会社より自分の健康に気を遣え、と。これを読んでいる責任感の強い人たちに言いたい。食べることが億劫になったら黄色信号、食べなくても良くなったら赤信号だ。仕事より、自分の身体を大事にして欲しい。辛かったら、仕事を休んでもいいのだ。自分の仕事の引継ぎ等、心配なことも沢山あるだろう。それでも自分の身体が限界だと感じたら、仕事がどんなに忙しくても休みを取り、心療内科に行って欲しい。心療内科に行くのが怖いという人は、友人や親に相談をして欲しい。絶対に、独りで抱え込まないで欲しいのだ。

未だにうつ病を治療している私からのメッセージです。

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