【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

三つの壁に負けない
神奈川県  山本彩佳
 「将来の夢は何ですか。」
 私はこの類の質問が嫌いだった。たくさんの職業の中から好きなものを選べる人達と違って、私にはそもそも選ぶことができる選択肢が存在しなかったからだ。仕事に就いた自分を想像することが出来ない。移動は一人では無理だ、荷物を持てない、と様々な点で出来ない事が多く、選択肢を挙げることすら出来なかった。
 私は小学三年生の時に、先天性の筋肉の難病だと分かった。それまでは運動が苦手ではあったが、普通の生活を送っていた。病院の医師からは、筋肉が発達しないため、身体が大きくなるに従って、出来ない事が増えてくると告げられた。今は走る事やジャンプをする事が出来ないし、手を肩より上に挙げる事も出来ない。握力もほとんどない。学校生活では車椅子を利用し、重い鞄を持つ時や移動教室の時は友人の助けを借りる事が多い。多くの人に助けてもらっている生活をしているからこそ、自分も誰かのために働きたい、人の役に立つ仕事に就きたいという思いが、年々強くなった。しかし同時に、人の手を借りて生活している私が就ける職業などあるのだろうかという不安が常にあった。
 去年の夏、私の考えを変えるきっかけとなる人との出会いがあった。それは、熊谷晋一郎さんの講演を聞く機会を得たことであった。彼は新生児仮死の後遺症で脳性麻痺となったが、車椅子で生活しながら小児科医となった人だ。熊谷さんは、自分の人生においての挫折と葛藤、その中で得た自分の体との上手な付き合い方、そして医師という仕事での様々な経験を語ってくれた。手足を思うように動かせないため、試行錯誤を繰り返しながら、自分なりの方法で医師としての仕事をこなしてきたそうだ。口で注射を打つことも、熊谷さんなりの方法であったが、その事で不安がられたり、車椅子を理由に、患者さんの親から「他の医者に変えてもらいたい」と言われた事もあるそうだ。しかし彼は、世の中には完璧な人間というものはいないから、そういう点では障がい者も健常者も同じだ、と力強く語っていた。
 熊谷さんの話を聞いて、私は自分も夢を持っていいのだと背中を押された気がした。みなと同じように出来なくても、自分なりの方法を見つけ出してやっていけばいいのだ。
 私は自分のようなハンディを持った人が職業に就くためには、三つの壁があることに気付いた。一つ目は自分の中にある壁。自分の出来ない事は、自分が一番良く分かっている。だからかそ、色々な面で消極的になってしまう。仕事に就くことで、誰かに迷惑をかけたり、誰かの手を煩わせてしまうのではないかと躊躇してしまうことがある。二つ目は、会社や所属先の壁。障がいを持った人を受け入れるためには、設備面のバリアフリーと、共に働く人の心のバリアフリーともいえる協力体制の確立が必要だと思う。三つめは社会の壁。熊谷さんが職場では認められたのに、患者さんやその家族から「他の先生に変えてほしい」と言われたように、その組織内だけではなく、社会的にも受け入れられなければ仕事の継続は難しくなる。
 今、私には将来就きたい職業がある。そのために必要な事を学ぶ努力を続けている。私はやっと一つ目の壁を乗り越えようとしている段階だ。将来の夢の実現には、まだまだ乗り越えなければならない多くの課題があるし、私一人の力ではどうしようもない事もあるかもしれない。しかし、あきらめずに、一つ一つ自分なりの方法で乗り越えていこうと思う。仕事を通して、誰かに必要とされ、誰かに認めてもらえる事が出来れば、自分がこの世に存在している意義を見つけられると思うからだ。
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