【公益財団法人 日本生産性本部 理事長賞】
気づいたら、布団から動けなくなっていた。辛いと思いながら、気持ちを隠して仕事をしていたのだが、限界だった。職場に体調不良の連絡をし、何んとなく母に電話をする。母の声を聞いた途端に涙と嗚咽が止まらなかった。その後、仕事を辞めるまで時間はかからなかった。 最後に上司と先輩から言われた言葉は今でも覚えている。 この職場でやっていけなかったら、どこ行っても無理だよ。」 そんな職場から離れ、精神的にも少しずつ回復してきたある日、地元の先輩から「今ちょっと時間あるなら、うちで働いてみない?リハビリがてらにさ。」と誘いがあった。社会復帰を目指しているけど、前職の記憶がこびりついていた私には希望のようだった。「やってみたいです。」と返事をし、簡単な面接をした後、アルバイトとして雇ってもらえることになった。 初日、会社に行き挨拶を済まし、与えられた机につくと、一人のおばちゃんが挨拶をしてくれた。 「今日からあなたの世話係になります!よろしくね!何でも聞いて!」 それがおばちゃんとの出会いだった。 おばちゃんはアグレッシブで、面倒見のいい人だった。いつも笑顔で挨拶してくれて、生気の無かった私はおばちゃんから元気をもらっていた。どんなに些細なことでも丁寧に教えてくれて、仕事がうまくできれば褒めてくれた。今までの上司や先輩とは正反対だった。 職場もおばちゃんを中心にいきいきとしていて、誰かがミスをしても全員でカバーして前を向く。ミスの確認・把握・反省・対策をして全員に共有し、次に活かす。もちろんミスをすれば怒られることもあったが、それは怒鳴り声を交えた?責ではなく、注意だった。そんなカラッとしていて風通しの良い職場にいるうちに、私も気持ちが前向きになり、おばちゃんや会社のために自分が出来ることをしたいと仕事に精を出すようになった。割り振られた仕事以外にも出来ることを聞き、探し、多くの仕事を任されるようになっていった。 そんなある日、彼氏からプロポーズをされた。彼は地方在住で結婚したら、今の仕事を辞めて地方に移り住むことになる。嬉しい気持ちの隙間から仕事を辞める寂しさと地方に新たな場所で働くことへの不安が見え隠れしていた。 翌日、おばちゃんにプロポーズのことを話し、寂しさと不安を打ち明ける。 「正直、この仕事を続けていきたい気持ちもあるし、昔のこともあるから新しい土地で働けるか不安です。」 「…あなたが最初来た時は生気も覇気も元気もないし、本当にやっていけるか不安だったわ。でも、あなたは自分の頭で考えて、すごく成長したじゃない。積極的に仕事して、会社に貢献して、見違えたわよ。今のあなたなら、どこに行っても大丈夫。絶対にやっていける。このあたしが太鼓判を押す子なんだもの。自信をもって、胸張って幸せになりなさい!」 おばちゃんは私の顔をしっかりと見ながら、話してくれた。私は母に電話をした時と別の意味の涙を流した。 その後、彼と入籍し、地方に移り住んだ。仕事を辞める時は会社の人が盛大に送り出してくれて、おばちゃんは涙ぐみながらも笑顔で「いってらっしゃい!」と見送ってくれた。 私にとって働くとは、人と出会うことなのだと思う。自分と合わない人にも沢山出会ってきた。しかし、そんな人たち以上に大切に思える人との出会いがあった。互いを認め合い、フォローし合い、この人たちのために働きたいと思える人間関係を築ける人がいた。その出会いを新しい職場にも求めている。 難しいことかもしれない。簡単ではないかもしれない。もし、新しい職場におばちゃんのような人がいなかったら…?それなら私がおばちゃんのような人になろう。ここまで前向きに考えられるようになったのは、やはりおばちゃんのおかげである。 今、この文章を書いている時は、就職活動の真っただ中だ。次の職場に、どんな出会いが待っているか。今からわくわくしている。