【一般社団法人 日本産業カウンセラー協会 会長賞】
「私は案外あなた向いてると思ってる。」
人と接するのが好きだ、という単純な理由だけで接客業に就いた私が挫折したのは入社してすぐのことだった。
笑顔には自信があり、周りからも話が面白いと言われてきた。
だからそんな自分にこの仕事はなんなくできると信じきっていた。
しかし現実は違った。
自分だけが笑い、目の前のお客さんは笑っていない時もあった。
上司から「あなたの話し方は人をイライラさせる。」と言われショックを受けたこともあった。
理想とは大分かけ離れた日が続き、次第に私から自慢の笑顔と覇気は消え、退職のことばかり考えるようになっていた。でも、退職をする勇気すらその時の私にはなかった。
ある日、私のその状態を知ってか知らずか、店に現れた人がいた。私を面接して採用した人だ。
その人は私を休憩室へ呼び、温かいお茶を淹れ、私の一方的でまとまりのない話にひたすら耳を傾けてくれた。その間、私は息をすることも忘れていたかもしれない。一通り話終えると荒く太い鼻息が出た。
そんな私を確認したその人は開口一番
「私は案外あなた向いてると思ってる。」
と言った。
私はその瞬間、拍子抜けした。
自己嫌悪まみれだった私への「向いてる」という肯定。
それにくっついていた「案外」という言葉。
少し間があり、顔をあげると目が合った。その人はニヤリとしていた。
私は一瞬にして「ああ、この人こそ接客のプロなんだ。」と生意気にも思った。
そしてその人はこう続けた。
「あなたにとってこの店にある商品はもう見慣れてしまっているかもしれない。でも、お客様にとってそれを見るのは初めてかもしれない。
あなたは毎日同じ道を通って同じ景色を見ながらここへ来る。
でも、お客様はここへいらっしゃる為にわざわざ電車を乗り継いだり、慣れない道や長距離を一生懸命運転してきて下さったのかもしれない。
お客様にとっての特別な日をあなたの日常にしてしまってはいけないよ。」と。
私は一気に目が覚めた。私は接客の「せ」の字も知らないままこの仕事を辞めるところだったんだ…。
そんな私の気持ちの変化を見透かしてか、その人は言った。
「いい顔してるじゃん!これからもヨロシク!」
その時の笑顔が、今でも私の目標だ。