【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

つり広告の編集長へ
大阪学芸高等学校  山本凜音

「十年後なくなる仕事ランキング」「AIにとってかわられる仕事はこれだ」こんな目を引くタイトルを引っ提げて今日も通学電車で広告が揺れている。見るたび私の胸はぞわぞわする。幼稚園のころ遊園地の片隅で薄ら目で足早に通りすぎたお化け屋敷のように、見たいような見たくないような、そんな気分になる。まだ高校一年生の私にとって働くということはまだ先の未来の出来事で、学校で将来の夢を聞かれるたびに何だか悲しくなる。もう将来を決めないといけないのか、と。将来の夢という質問に対する答えは常に、職業であって、そこに、馬を飼ってみたいと書くことはできないのだ。やりたい仕事がまだ決められない私は、いつもぼんやりと、「社会の役に立つ人になりたい」と書いてきた。こう書いておけばそれなりに先生も納得して、よくできましたシールを貼ってくれてきたからだ。大人になれば、嫌でも働かざるを得ないわけで、それはすべて生活のためなのだから、そりゃ、いい給料がもらえて、いい待遇の仕事に就ければいいわけで、そのゴールから換算して、大学や学部を選んで、そのために、どの高校に行くかを決まればいいだけだ。人生のゲームに勝ち残るための戦力を組んで、準備を万全にして、より近道でより確実な道を選べばいいだけだ。ずっとそうやって考えてきた私に、ある日突然コロナの波が訪れた。

非常に不安定な波が薄い膜で世界中を覆い隠しながら、確かにあった今までを、私たちから奪っていったのだ。はじめはただ、機会を奪っていくだけだったその影は、じわり間を詰めながら、あっという間に社会全体の価値観を変えるまでに広がっていった。その中で、私の仕事や働くということに対する考え方も変わっていった。毎日テレビから流れるエッセンシャルワーカーの働きに、今まで無言でお釣りの受けとりをしてきたことを恥ずかしいと思ったし、資源ごみの収集が減って、ただでさえコロナで増えた宅配便の段ボールが家の中で溢れかえったりもした。使い捨てコンタクトがなくなっても、複合ビルは開いておらず、処方箋をもらいたくても病院の予約はいっぱいで取れなかった。社会のすべてが、人の役に立つことで回っていることを知ったのだ。役に立たない仕事や人は、この世に存在しないと思うまでになった。そうなってまた改めて考えた。働くということと、生活をすることは一緒なのか、と。以前は、働くのは生活するためなのだから、生活を成り立たせることのできるような仕事を、と思っていた。けれど、コロナの真っただ中で、人の価値観がいとも簡単に変わり、同時に、戦時中のように、重宝されるものが急にそのもの本来より付加価値がついて流通することも体験したことで、本来の働く、という動作が持つ意味について考えるようになったのだ。「働く」という字は、人が動く、と書く。人が動くことでなされることすべてが、働くという作業なのではないか、と。有給か無給か、事の大小にもかかわらず、もちろん性差や年功にとらわれることなく、自分の中にあるものを使って、外側の世界や他者とつながることすべてが働く、ということを指すのではないだろうかと考えるようになった。だからこそ、自分の心と切り離されて嫌だと思いながらする仕事はつらく、誰かや何かに貢献できていると自負しながらする仕事は満足感が多いのではないだろうか。

働くということは、いまだ私とは遠い世界だ。だが、いつの日か近所のお隣さんとして社会に存在する私が、少しでも付加価値のある人として損得なしに社会で働く人になっていたいと思えるようになってきた。

目の前のつり広告にざわつく心をぐっと抑えて、十五の私は今日も学校に急ぐ。

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