【 公益財団法人 日本生産性本部 理事長賞 】

無くなったほうがいい仕事
愛知県  さとうきび 25歳

私は人事部でパワハラなどのコンプライアンス違反を取りしまり、再発防止策を講じる仕事をしている。この仕事はとかくいい顔をされない仕事だ。加害者からは「自分は犯罪者でもないのに事情聴取をされるなんて」と憤慨され、相談者からは「再発防止策がぬるい」と憤られ、当事者以外からは「研修がだるい」と文句を言われてしまう。同僚からは歓迎されない仕事に自ら希望し従事しているのは、17歳の時にパワハラ加害者になりかけた経験があるからだ。


16歳の時、私は飲食店でアルバイトを始めた。幸い、先輩や上司に恵まれ早いうちに仕事に慣れることができた。愛嬌があるとお客様から褒められ、いい人が来てくれたと店長から言われ、「私はいい人なんだ」とその時は思っていた。そんな自覚が錯覚であると気付かされたのは1年後のことだった。
 17歳の時、大学生の方が新しいアルバイトとして入ってきた。最初は「おっとりした優しそうな方がきてくれたなぁ」と思ったのだが、一か月、二か月と経つにつれ、「とろくさい人が来てしまったなぁ」と思うようになった。「年上なのにどうして私よりできないんだろう」と、いい人なら到底思いつかない考えが頭の中でグルグルとかけまわり、その度に「こんなことを考えてはダメだ」と自省するものの、仕事でしわ寄せがくる度に悪意が脳内に登場してくる。今まで“いい人”でいられたのは環境のおかげで、本当の私は嫌な奴なのだと理解させられた。
 同じシフトに入れないでほしいと店長に直談判したとき、店長は驚きつつも話を聴いてくれた。その方と自分を比較して厳しい目を向けてしまうこと、ダメだと思うのに嫌な思いが湧き出て来ること、これ以上同じシフトで働いていたら我慢しきれず本人にその思いを伝えてしまうかもしれないこと。店長は口を挟まず静かに聴いてくれた。私が話し終えた後、店長は「よく相談してくれたね」と優しく言った。仕事を覚えるペースは人それぞれだから仕方がない。ミスの尻ぬぐいをするときに嫌な気持ちになるのも仕方がない。でも、仕方がないばかり言ってもしょうがない。仕方がないことを解決するために僕がいる。「気が付けなくてごめんね。あとは僕に任せて」と店長にそう言われた時、私は思わず泣いてしまった。自分が我慢するしかない、自分で何とかするしかない、そう思っていたのに助けてくれる人がいた。問題が解決したわけではなかったが、話を聴いてもらうだけで、手を打つと言ってもらえただけで心が軽くなった。


私は今、人事部でコンプライアンス違反の調査と再発防止策を講じる仕事をしている。調査として当事者から事情を聴くときは、店長のことを思い出す。話を最後まで聞き、相手に寄り添いながらもこちらの見解はきっちりと伝える。当事者の心を軽くできるよう、あの店長の聴き方をマネしている。再発防止策を考える時は17歳の私を思い出している。私はいい人ではない。環境次第でいい人にも悪い人にもなってしまうと自覚している。だからこそ、社員全員がいい人でいられるような環境づくりについて深く考えられる。人員にもっと余裕があれば、仕事のスケジュールがきつくなければ、事前に部下の指導方法について気軽に相談できる体制が整っていれば、パワハラは起きなかったのではないか。
 パワハラなんて起こらないほうがいい。だが、実際に起こっているからこそ私の仕事がある。昨日の相談者が今日の加害者になるかもしれない、明日には私自身が加害者になるかもしれない、そんな危うさの中で、私はこの仕事を早く無くすために今日も挑戦し続ける。

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