【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】
「ほら!君、顔が死んでいるよ」 人事の声が貸会議室に響き渡った。 内定者研修で私は名指しされたのだ。十名以上もの内定者が嘲笑の笑みを浮かべていた。研修が私の顔のせいで中断した。 全国展開する学習塾の運営や子供を対象にした自然イベントを行う一般企業であった。私は企画が自由にできる風土が好きで志望した。ただ、笑顔や身振りなどの反応が豊かなことが塾でも企業風土としても大事にされる。私はリアクションが比較的少ない人間だったので、人事に注意された。 「すみません……」と言う私の顔もおそらく真顔だったのだろう。 「いや。いいのだけれども。こんなすごい形相で睨まれているようだったから。もっとリラックス!」と人事は目をグッと見開いて私の顔真似をして笑いを誘った。 「君の名前は覚えたからね」と人事は立ち去った。
私は俳優さんのように表情豊かな人間ではない。これまで研究一筋で、空気も読めなければ、言われたことを何回も練習しないと身につかない。不器用な人間だ。 「この会社でやっていけるのか?」入社前で大きな不安があった。
内定式と全体研修を終えた四月の中頃。 会社には、新卒が営業を担当し、一定期間内に営業目標を達成する「新人チャレンジ」というイベントがある。これをクリアすれば、塾の運営や企画に携われるようになる。 人間関係が苦手な私に営業ができるのかと自信がなかった。全体研修で営業トークを覚えたのも支社で下から二番目だった。でも、「仕方ない」と決意し、営業に専念する。 一件ずつ自宅に訪問してピンポンを鳴らし、ご家庭に学習塾の無料体験を勧める営業だった。先輩の同行営業を数日終えて、「君は表情が硬い。緊張がお客様に伝わるよ」と指摘を受けた。 「内定者研修から少しも変ってない」と愕然とした。 ピンポーンと鳴らすも、インターホン越しで「結構です」と断られるのが大半であり、玄関先に出てきても手を振って「うちはいいので!」と足蹴にされる。時には「無理です」と断られることもあった。私が一か月で一件も営業が取れない中、十件以上も取っている新卒もいた。会社では違いの差を見せつけられ、営業現場では実力の無さを再認識する。そんな日々が続いた。
でも、このままではいけない! 「先輩。明日から少し早めに出社して、営業の特訓をお願いしたいです」とすがる思いで仲の良い先輩に連絡をした。 「いいよ。やる気は素晴らしい」と二つ返事で先輩は快諾してくれた。 翌日から先輩との営業特訓が始まった。インターホン越しの対応から一連の営業の流れを確認するロープレをひたすら行う。 先輩の断り文句に機転が利かず、何度もやり直しをくらう。「ダメだな」と落ち込んでいる私を見かねて「この場合はこう切り返す」と先輩は惜しげもなく指導してくれた。ボイスレコーダーに先輩の声を記録し、何度も何度も再生して先輩の声のトーンや切り返しを頭に叩き込む。そんなできない私の姿を見て周りの社員は笑ってばかりだった。 しかし、特訓から一週間して、私は継続的に営業が取れるようになった。いつの間にか支社でも評判になり、男性社員の中でも成績が良くなった。営業でお客様と笑顔でお話するのが楽しくなり、それを繰り返していると、いつの間にか新人チャレンジの期間は過ぎて私は無事達成していたのだった。 私の達成を支社の社員全員が笑顔で祝福してくれた。上司と先輩は手の平サイズの小さなくす玉を作ってくれた。割ったくす玉を持つ満面の笑みの私がそこにいた。 この時の写真を見て、私は思った。 「この顔は死んでいない。生き生きしている」 作り笑顔でもない、正真正銘の笑顔だった。
あの硬い表情から今は笑顔をたくさんできるようになった。自分は少しだけ成長できたのかなと思う。周りに笑われても関係ない。自分が笑顔になれる仕事ができれば、お客様や会社の人も笑顔になるのだと私は知ったのだから。