【厚生労働大臣賞】

テーマ:B仕事を通じてかなえたい夢
選択肢
鹿児島県  西俣 友博 31歳


 「教師になりたい。」
 中学生の頃、漠然と抱いた夢だった。なぜ教師になりたいと思ったか、きっかけは自分でもよくわからないのだが、恐らく自分の知識を他人に得意げにひけらかすことが好きだったからだと思う。勉強に限らず、ゲームの裏技や好きなアイドルに対しての豆知識など、自分が得た知識はとりあえず誰かに聞いてほしかった。どうやったら相手に興味を持ってその話を聞いてもらえるのか、理解してもらえるのか、自分なりに工夫して話をしていたように思う。
 高校生になり、大学受験が現実味を帯びてきた頃、母親に話したことがある。
 「教師になりたい。大学はどっかの教育学部に進学したい。」
 そう伝えた時の母親の鬼のような形相は今でも忘れない。当時、いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者が話題となり、学校教育や教師そのものが辛い立場に陥っていた時代だった。母親としても自分の息子をそんな環境に置きたくない、という優しさもあったのだろうが、自分としては描いていた夢をへし折られた瞬間のように感じていた。
 結局、母親の薦めに従い、医療系の国家資格である「臨床工学技士」と呼ばれる資格を手にし、大学病院で勤務を始めた。臨床工学技士とは、院内にある様々な医療機器の操作・保守・管理を行う医療機器のスペシャリストである。活躍の場所は、手術室を始めICUや、人工透析室、心臓カテーテル検査などの臨床現場はもちろん、院内のスタッフに機器の扱い方や注意事項など教育を行うなど多岐にわたる。
 入職して1年経ったころ、私が講師となり、院内のスタッフに新しく導入された医療機器の使い方をレクチャーする研修会が開かれることとなった。私は一生懸命マニュアルを読み、機器を触り、どのようにして理解してもらうか考えながら、資料を作成した。その時だった。
 「教師になりたい。」
 臨床工学技士という仕事を始めたことで、もう他に働く道はないと思っていたが、私は気づいた。
 教師は国語や数学だけではない。大学で自分が学んだように、資格を取る為の教師もあるんだと。臨床工学技士の資格を得るためには、大学もしくは専門学校で学ばなければいけない。その分野の教師なら教員免許は不要。臨床工学技士としての実務経験を積めばなれるかもしれない。母親に切り捨てられたあの夢をもう一度叶えるチャンスかもしれない。
 自分の人生における新たな選択肢が生まれた瞬間だった。
 幸いにも、私の行った研修会は好評だった。スタッフからは、資料が見やすい、聞いてて飽きなかったなど嬉しい反響も頂いた。その後も臨床業務の傍ら、院内でスタッフや後輩に教育を行うことはもちろん、学会発表なども行いながら、人に教える・伝えるスキルを磨き続けている。また、来年以降に通信制の大学院に入学し、自分の知識を更にレベルアップさせることも検討している。
 教師と臨床工学技士、一度選んだ選択肢は二度と選べないと思っていたが、回り道をすることで再び選べるようになるのかもしれない。一つの選択肢の中には、そこから更に分岐する可能性がある。その分岐を作るのは自分次第。今は自己研鑽に努め、時が満ちた時、私はあの頃の夢を叶えるためにもう一度踏み出そうと思っている。選択肢は自分で作るもの。私はそれを体現したいと思う。

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