【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:A私を変えたあの人、あの言葉
想いを伝えるかたち
日本大学三島高等学校  伊藤 夢夏 17歳


 「バイトすることにしたから」
 母に突然言われたことだった。その時の私はそうなんだという特になんの感情も持たない返事をしたと思う。一緒に話を聞いていた祖母の怪訝な顔はなぜか今でも思い出せるくらい鮮明に記憶されている。
 母は私を女で一つで育ててくれて、運送会社で働きながら朝早く仕事に出ている。若いときこそ、アパレルショップで働いていたが今は午前二時に起きて出勤する力仕事だ。そんな大変な仕事をしているのに、バイトまでする気なのかと祖母は思ったのだろう。その疑問は当然であると思う。私は兄弟もいなければ、父親もいないけれど、自分の暮らしを可哀想だとか不自由だとも思ったことはただの一度もない。その大きな理由として挙げられるのは母の存在だ。時には厳しいことも言われるけれど、昔から私のやりたいと言った習い事は全部やらせてくれていたし、塾にも、行きたい高校にも行かせてくれる。二人暮らしだけれど、二階建ての一軒家に住んでいる。そんな暮らしをしていたら、いつしかむしろみんなが羨ましがるような家庭になっていたと思う。私にはその生活が当たり前だった。いや、当たり前だと思っていた。
 母がバイトを始めてから数週間、ある考えがすっと頭に浮かんだ。
 「私の自由の代わりに母の自由がなくなっているんじゃないか。」と言うことだった。この時、母の睡眠時間はおよそ三時間あるかないかだった。私はまだ仕事を経験したことがないし労働の大変さからお金の価値に関しても、働いている人から見れば無知に見えるだろう。それゆえにどれだけ働くということが大変なのかも実感できないし、共感もできない。そんなことを思いながら軽く言葉を漏らした時母はまっすぐに私を見て、
 「母親なんだから、働くのは当たり前でしょう」とだけ言った。だから、私にとって働くと言うことは、親の愛を感じる行為だ。
 将来なりたい職業につき、楽しんで仕事をしたい。たいていそれを「理想」とするのかもしれない。しかし私は将来、仕事を通して母からもらった愛情や想いを母に返したい。そして今度は自分がその想いを渡したいと思える人に母と同じように仕事を通して伝えたいと思う。

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