【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】
深夜の大学ロビーで私は今まであんなに楽しかった絵を描くことが苦痛へ変わっていくことに絶望していた。
私は幼いころから風景の絵を描くことが大好きで、休日はスケッチブックと共に自然豊かな場所に出かけて、のんびりと絵を描きながら過ごしていた。そんな私が絵に関する仕事を請け負うことになったのは偶然の出来事だった。大学で仲良くしていた友人が本を作ることになり、その挿絵を絵が趣味の私が描くこととなったのだ。私は依頼されたとき、友人の仕事を手伝えることと趣味として楽しく描いていた絵がお金をもらう仕事になることがとてもうれしかった。早速ストーリーを読み込み自分の中で絵の構成を練りながら下絵を描き始めていた。
そんな私に仕事は趣味とは違うことを痛感させる出来事が起こる。友人から一度下絵を見せてほしいといわれて何枚か描き上げた下絵を見てもらったときのことだった。それぞれの挿絵に何枚かの下絵を用意していたのだが、友人からの評価は「先に伝えていたコンセプトに近い絵がない。しかもそれぞれの下絵が似通っていて数種類用意してもらっている意味がない」と痛烈なものだった。私はいままで趣味であったから自分の好きな絵を好きなだけ描けていたのだと強く実感した。仕事ではクライアントのイメージに沿うように、さらにそれを探るように下絵の段階ではある程度印象をばらけさせる必要があったのだ。考えてみれば当たりまえのことだが今まで楽しく絵を描いていただけの私にはなかった考えだった。見かねた友人が「完成品を1か月後には提出しなくてはいけないから1週間後にはそれぞれの下絵を4種類ずつ持ってきてほしい」と私に依頼した。私は「絶対に無理だ」といいかけてやめた。依頼された挿絵は5枚、それを4種類だから1週間に20枚描き上げなければいけない。そんなペースで絵を描いたことはない。「やめてしまいたい」そう頭によぎった。しかし仕事として一度請け負っている以上やるしかないと思い「わかった」とだけ返した。
20枚の絵を描き上げるには今までと同じ生活ではどうにもならなかった。私は授業中や休み時間に絵を構想し、授業が終わったら大学のロビーで授業の課題そっちのけで絵を描いていた。深夜1時のロビー、受付の警備の人しかいない中、私は「なんでこんなつらい思いをして絵を描いているのだろう」という思いに駆られていた。「趣味を仕事にしたら人生楽しく過ごせる」大学で就職の話をするときよく聞くフレーズを思い出してそんなものは幻想だと感じた。その人たちは仕事が趣味に変わっただけなのだと。最終的に生活を犠牲にしながら私は20枚の絵を描き上げた。
ずいぶんと暗くなってしまったので、この仕事の結果を話すことにしようと思う。下絵は友人のイメージに沿った絵があり、そこから選ばれた絵を完成させ何とか仕事を終えることが出来た。私の苦悩とは裏腹にあっさりと仕事は遂行され本は完成したのであった。しかし、あっけなく思っていた私に仕事は素晴らしいと思える出来事が起こる。本が完成したのち、試読として数十人が集ったときのことであった。私の絵が物語の情景を豊かにし作品の質を上げているとして絶賛されたのだ。今まで趣味で絵を描いていた私はせいぜい家族に褒められる程度、自分が楽しければそれでよかったのだ。しかし仕事として書いた絵は見知らぬ誰かのもとに届き、自分の絵が価値のあるものとして評価されるのである。まさに「やりがい」というものを理解した瞬間であり、私はこの時のために苦しみながら絵を描いたのだと思えた。この時まで二度と絵の仕事はしないと思っていた私であったがまた機会があればぜひとも仕事で絵をかいてみたい。こうして私は「仕事とは楽しいだけでやりきることはできない、しかし新たな価値を世の中に生み出すことでやりがいが生まれる」そんな学びを得ることが出来た。