【厚生労働大臣賞】

テーマ:B仕事を通じてかなえたい夢
生きるヒントに
埼玉県  さより 40歳


 私は進行性の難病を患っています。この病気はやがて歩けなくなり、寝たきりになります。治療法はありません。診断を受けた時は大変ショックで「もう死んだ方がマシだ」と考えました。
 
 その後はずっと闇でした。
 いくらリハビリをしても病気の進行に待ったなし。診断を受けてすぐ階段の上り下りができなくなり、それがつらくて会社を辞めました。意気地なし?そうかもしれません。「こんなこともできないの」と言われるたび、こんなこともできない自分が心底キライになりました。
 
 そのあとはもうドン底でした。
 生活のため、いくつか面接を受けたものの、不採用。病気のことを正直に伝えると決まって「でもいつか悪くなるんでしょ。治らないんだから」と言われました。ぐうの音も出ませんでした。
 
 しかし、光、がありました。
 ある日登録していた人材派遣会社から連絡がありました。私が「進行性の病気だから、いつ働けなくなるかわかりませんよ」と言うと次の瞬間こう言ったのです。
 「でも今は大丈夫でしょ。できなくなったら、その時に一緒に考えましょう」
 感動しました。
 正直事務所はバリアフリーどころか、車椅子の通れる幅すらありませんでした。それでも出社時は手が空いている人がみんなで車からの上げ下ろしを手伝ってくれました。エレベーターのない所はおぶってくれました。
 「すみません。重いでしょ?」と言うと「いやいや、重いのは使命感ですよ」と冗談まで。私はおぶられながら、こっそり涙を拭いました。
 
 しかし葛藤もありました。
 あとで聞いた事ですが陰では私の移動サポートを「なんでやらなきゃいけないのか」と言う人もいたそうです。それはそうかもしれません。ただでさえ忙しい現場。時間も手間もかかります。皆、ここにボランティアに来ているわけではないのです。しかし上司は「別に強制しているわけではない。やりたくなければやらなくていい。ただ私は一緒に働いているのだからそれは当たり前だと思う」と自分の考えを話してくれました。嬉しかったです。
 
 そんな私は今年から在宅勤務になりました。症状が進行し、通勤がだんだん難しくなってきたためです。正直、在宅の提案をされた時はショックでした。確かに身体はラクになりますが、人との触れ合いはありません。でも身体がラクになった分、同じ病気で苦しむ人の役に立ちたいと思えるようになりました。今は同じ病気の仲間とオンラインで週に一度座談会を開いています。皆が口々に「これからどうなっていくんだろう」と不安を吐露します。同じ病気を持つお子さんの保護者からは「この子は働けるのか」と相談されます。そんな時小さなマイク越しに自分の経験を話すと皆さんホッとされます。「あなたがいてくれて良かった」とも。その表情を見て生きる手本にはなれなくてもヒントにはなれるんじゃないかと思えるのです。
 
 病気を抱えながら働くこと。
 果たしてそれは不幸なことでしょうか。手足が動かないこと。それは可哀想なことでしょうか。そこにはあえて「ノー」と言いたいのです。言わないと悔しいじゃないですか。会社ではお荷物扱いされ、社会からは哀れみの目で見られる。でも不便はあっても不幸ではない。そう思える強さが「一緒に」のコトバにはあるのです。
 
 果たしてこの先どんな未来が待ち受けているのでしょうか。
 手足が不自由なら手を差し伸べてくれる人が。目が見えなければ、やさしいまなざしを向けてくれる人が。この世界には、きっと、います。
 
 だから諦めません。辞めません。同じ病気を持つ方の未来のために。生きるヒントになれるように。これからも笑顔で働き続けます。

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