【一般社団法人 日本産業カウンセラー協会 会長賞】
2024年、私は息子を出産し母になった。今は育児休暇を取得している。
育児休暇を取得する前は、我が子とずっと一緒にいれるなんて幸せだなと楽しみにしていた。実際、約10ヶ月間自分のお腹で育ててきた我が子は本当に可愛い。だけど、子育ては、あまりにこれまで生きてきた環境と違いすぎた。新しい世界に足を踏み入れ、私の生活は一変した。3時間おきの授乳。何回変えたか数えきれないオムツ。逆に静かだと息をしているか心配で安心して眠ることができない。「あれ、さっき朝シャワー浴びなかったたっけ…?もう次の日?」同じ日々の繰り返しで曜日感覚はすぐになくなった。働き盛りの夫と生活リズムはすれ違い、誰とも話さないまま一日が終わることも少なくなかった。
眠い目をこすって息子をあやしながら夜明けを告げる朝日を目にしてふと思う。振り返れば、新卒から入社した今の会社で7年、がむしゃらに働いてきた。時にはトイレで不甲斐ない自分に涙を流したことも、夜な夜な終わらない仕事に向き合ったことも、どデカい失敗に冷や汗をかいたこともある。ハードな経験は数え切れない。「もう無理だ、辞めたい」と思ったことは一度や二度ではない。だけど、あの日々の私が、今目の前にある朝焼けに重なって眩しいくらいに輝いてみえた。
積み重ねてきた経験が役に立たない。ゴールや目標が立てにくく、誰かに評価されるということがない。社会というレールから外れて私以外の全員が私を置いて先へ先へいってしまう。そんな気がした。当たり前に働いていた毎日が私にとって、こんなにも自分に安心感と充実感、自己肯定感を与えてくれていたことに初めて気づいた。
そんな中、ふと、2024年の出生数の記事が目に入った。2023年に比べて急激に少子化が進んだという。「子育てが年々困難になる世の中で、今そのうちの1人を産んで育てている」。この小さいかもしれないけど、まぎれもない事実が私にとって励みになった。なんだか社会と繋がっている、これまでの働きとは違う形で社会に貢献できているという気がした。
確かに我が子を育てるため会社を離れることを育児「休暇」と言う。人から見れば我が子を育てるために仕事から離れることのできる「休息」に見えることもあるだろう。けれど、現実は色んな葛藤を含んでおり、私にとっては新しい「働き方」だ。社会のレールから外れたわけではなく、乗っているレール、置かれる環境が変わっただけ。組織に属したり、対価を得たり、それだけが「働く」ということではないと気づいた。息子のために毎日試行錯誤しながら生きる私の毎日だって確かに社会に存在している。誰かのために一生懸命生きる毎日も意義がある。そう思うことにした。
息子が連れてきてくれた新しい世界。育児休暇を早めに終わらせて会社に復帰するという選択もあるが、私は今いる環境で精一杯取り組むことに決めた。
児童館、公園、行政主催のイベント。息子と2人きりのおうち時間。この世界に積極的に関わるほど子供を育む世界の優しさと奥深さを知り、気づきと学びの日々だ。この歳になって初めて出会う感情もある。
新しい夢もできた。保育士免許を取得したいと思っている。私の育児休暇はもうすぐ終わりを迎えるし、息子は大きくなるけれど、ずっとこの世界と繋がっていたい。少し前の私と同じように葛藤するお母さんに寄り添いたい。どんな形で実現できるかははまだわからないけれど今出来ることを行動に移すことにした。大学受験ぶりの勉強だ。息子のお世話をしながらの勉強は更にハードで授乳中寝落ちしそうなのを堪えて教科書をめくり、おんぶしながら問題集を解いている。
今は、胸を張っていえる。私は子育てを、頑張っています。