【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:A私を変えたあの人、あの言葉
一緒に働く、人は宝だ
東京都  ナツヤマ 35歳


 大学3年、一斉に押し寄せた就活という波に、わたしは乗れずにいた。教員免許取れるなら取っておくか、くらいの気持ちで単位を取っていたけれど、ほんとうに採用試験を受けるのか、わたしも就活を始めるべきなのか。そのときになってもグズグズと動くことができなかった理由があった。
 
 「電話は取れないし、会議も絶対聴こえない。わたしに働くことなんてできないよ…」
 
 わたしは、自分が実は中等度難聴であることも両耳にこっそりつけている補聴器のことも、まわりに隠していた。打ち明ける勇気はないくせ、伝える努力をしないくせ、「あの人の声は聴こえにくい」「もっと分かりやすく話してよ」「あの人は聴き返しても言い直してくれない」なんて、心の中で人のせいにしてきた。働き始めたら、聴こえないことで取り返しのつかないような失敗をするのではなかろうか。そうなったときにわたしはまた、人のせいにするつもり? 嫌だ。まだ間に合うならば、今ここでしっかり向き合わなければ。
 こうしてわたしは就活をせずに大学を卒業し、また別の大学に入学した。聴覚障害について学ぶことのできる、1年間の課程だった。そこで特別支援学校の教員免許を取得し、採用試験に合格。初任校は、耳の聴こえない・聴こえにくい子どもが通う「ろう学校」だった。難聴であっても、いや、難聴だったからこそ巡り合えた仕事だと思って、一生懸命働いた。
 さて、話の本筋はここからだ。6年経って異動があった。今度の学校は知的障害をもつ子どもの学校だ。ろう学校と違って難聴の教員はわたしだけで、当然だが難聴教員のための環境は整っていなかった。その都度「わたし難聴なんです」「こういうふうにしてもらえると分かりやすいです」と説明し、協力を仰ぎ、そのたびに「してもらう」申し訳なさから謝ってばかりだった。
 その学校は教職員が100人以上もいる大きな学校で、職員室がとても広かった。職員会議で発言する人は、中央前方、副校長デスクの隣にあるマイクの前に立ち話す。スピーカーの音はぐわんぐわんと響いて聴こえにくかったので、管理職に相談し「文字起こしアプリ」の使用を許可してもらった。これには同じアプリをインストールしたスマートフォンが2台必要だった。1台はマイクスタンドに取り付けて、話し手の音声を拾う。アプリ同士を連携させたもう1台のスマホに、話し手の音声が文字に変換されて映し出される、こちらはわたしのスマホでいい。僕のスマホを使って、と快く名乗り出てくれた先生がいた。スキンヘッドがトレードマークの再任用・K先生だった。毎朝、職員会議が始まる前にK先生は自分のスマホをスタンドにセッティングしてくれる。毎日毎日嫌な顔一つせずに。わたしは毎日「すみません」と言いに行っていたと思う。
 ある日、K先生とゆっくり話す時間があって、「いつもほんとうにすみません」と言った。するとK先生はこう言った。
 「人は宝だから。一緒に働く人がどうすれば働きやすいか一緒に考えるのは、当たり前のことだよ」
 その言葉は、わたしの胸に深く刻み込まれた。その日から「すみません」と言うのをやめて「ありがとうございます」と言うようにした。
 K先生だけじゃない、たくさんの人に助けられてわたしは働くことができた。学校中の先生が、保護者が、わたしに話しかけるときにマスクを下ろして口元が見えるようにしてくれた。研修の企画担当者が、座席はどこがいいか文字起しアプリは使うかと事前に確認してくれた。
 難聴だからあれもできないこれも大変、仕事なんて無理だと決めつけて諦めていたのは自分自身だった。聴こえにくいんだね、じゃあどうすれば働きやすくなるかなと一緒に考えてくれたのは職場の人々だった。聴こえについては助けてもらい、わたしができることで人を助ける。一人ひとり得意なことと苦手なことを補い合い、協力して進んでいくために、人は一緒に働くのだ。

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