【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:A私を変えたあの人、あの言葉
僕は 夢みる プロボウラー
東京文理学院  木村 守 15歳


 8才の冬、僕は絶望の中にいた。ペルテス病を発症し、僕は自由を失った。ペルテス病は、足の骨が壊死してしまう病気。一人で立ち上がることを禁止され、車イスに乗せられた。自由のない毎日。重く、冷たい装具を作った。右足には、外でも家でも、装具を付けたまま。お風呂と寝る時以外は、装具を常に付け、壊死した骨がつぶれないように足を守る毎日。
 3ヶ月の入院と自宅治療。治るまで3年かかってしまった。勉強も遅れてしまい、スポーツにも苦手意識ができてしまった。
 ドクターの力を借りて、治療は上手くいき、骨はキレイに元に戻った。でも、僕の人生は元には戻らなかった。自由に動けなかった僕。友達もいなかった。学校生活全てが、つらかった。学校に行くことが、苦しく思えた。
 中学生になり、出会ったスポーツ「ボウリング」。毎週土曜日、プロがレッスンしてくれる。僕の先生は、プロボウラーの今泉プロ。僕の人生を救ってくれた恩人だ。
 今泉プロの出すストライクは、ピンがキレイにはじけ飛ぶ。一瞬で僕の心を魅了した。小柄で弱々しい僕を快く受け入れてくれた。毎週レッスンに行くのが楽しみでたまらない。学校での苦しい時間も、あっという間に過ぎていく。
 今泉プロと出会ったばかりの頃、投げすぎて指から血が出てしまった。今泉プロは、「指が痛くてもすぐにやめない、投げ方を考えれば痛くない投げ方ができるようになる」と教えてくれた。その頃は、まだ僕のフォームは安定していなく、ボールの重さに負けていた。重さを克服し、教わったフォームをしっかり意識すると、痛くない投げ方がみつかった。
 学校はつらかったけど、毎日行った。今泉プロの言葉は、僕の考えを変化させた。つらいから学校に行かないのではなく、つらくないように行動しようと考えられるようになった。友達を作ることもできたし、高校受験にも立ち向かえた。
 4月から高校生になれた。これも今泉プロに出会い、僕の心が変わったからだ。病気を理由に人生を諦めない。ちょっと勉強ができないからって負けてたまるか。今、そう思えるのは、プロボウラーになるという、夢があるからだ。
 初めて自分のボールを買った時、「プロボウラーになりたいか」と今泉プロは僕に問いかけた。12才のボクは迷わずに「はい」と答えた。あれから3年。筋肉も付き、自分でもビックリするほどの力こぶ。12ポンドだったボールは、14ポンドへと重さを変えた。ますます、プロボウラーへの思いは強くなった。
 16才、プロテストに挑戦できる。難しい所は色々あるだろう。それでも僕は挑戦する。足を失う恐怖と絶望に比べたら、厳しい練習も、ボールの重さも苦ではない。ペルテス病を乗り越えたボクを見てほしい。プロボウラーへの未来をつかむ。諦めなければ、世界は広がる。
 奇跡を起こすぞ!僕は、夢みる プロボウラー。

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