【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:A私を変えたあの人、あの言葉
頑張れ。
愛知県  みいさん 31歳


 両親とも医療従事者の家庭で育った私は、「誰かのために働く」両親の背中を見て育ちました。歯科医の父は休日でも急患の電話がかかってくると、「何時に来られますか?」と聞いて電話を切り、淡々と治療の準備に取り掛かっていました。それが日常でしたし、大人はそうやって働くことが当たり前だと思っていました。
 娘の私にも厳しく、「学校は行くもの。勉強はするもの。」という家訓のもと、テストで良い点を取って褒められた記憶はほとんどありません。今思い返すと、その日々があったから、「頑張ったから褒めてほしい、誰かに認めてほしい。」という承認欲求を捨てていくことができたのだと思います。
 高校3年生で進路に悩んだ私は、「母と同じ職業であれば適性はゼロではないだろう。」という安易な考えで薬学部に入学しました。大学のカリキュラムは予想以上にハードで、試験も必死で勉強してギリギリ単位が取れている状態でした。もしかしたら卒業できないかもしれないという不安を抱きながら学校に通っていました。5年生になり実習が始まりましたが、今までの勉強不足を実感し、自分は薬剤師に向いていないかもしれないとどんどん自信を失っていました。
 ある日、病院での実習で、抗がん剤治療を始められる患者さんの治療前の説明に同行させていただいた日のことです。薬剤師の方が患者さんに許可を取ってくださり、私と同期の二人で説明の様子を見学していました。薬剤師の方が一時的に席を外し、患者さんと私たちだけになった時、「俺も頑張るから、君たちも勉強頑張れよ。」と患者さんから声をかけていただいたのです。私たちはあまりの衝撃に「ありがとうございます・・・。」と頭を下げることしかできませんでした。「患者さんは命を懸けて治療に臨もうとしているのに、同じ頑張れをもらっていいのだろうか?」「こんなに重みのある頑張れをもらったのは初めてだ・・・。」と、病院からの帰り道に同期とその言葉を反芻したことは10年近くたった今もはっきりと記憶に残っています。
 
 あの日から、「私が勉強することは、人の命を救うことだ。」と考えるようになり、勉強することが苦にならなくなりました。その後無事に国家試験に合格し、現在も薬剤師を続けることができています。
 
 薬剤師として働き始めてからも、辛いことは沢山ありました。勉強不足で医師からお?りを受けたり、ミスをして上司にひどく叱られたり、法律ギリギリの連続勤務があったり。知識的にも、体力的にも、社会の洗礼を受け、薬剤師を辞めたくなることもありました。同じくらい、嬉しいことも沢山ありました。「あなたに相談してよかった。」「笑顔がとっても素敵ね。」「それは知らなかった。教えてくれてありがとう。」と患者さんに限らず、医師・看護師の方からも沢山のありがとうをいただけました。今の私があるのは、あの日の「頑張れ。」があったからです。あの時変われたから、初心を忘れず変わらず努力することができています。
 今働くすべての人に捧げます。私は働くことは生きることだと思います。しかし、働くために生きるほど人生を仕事に捧げる必要はないと思います。頑張るのは、生きるのは自分自身ですが、一生懸命生きている人にはその途中で背中を押してくれるような、あなたを抱きしめてくれるような言葉や人に出会うきっかけがあると思います。それまではあなたが自分自身を抱きしめて、大切に生きていってほしいです。代わりのいないあなただから。今日も一日お疲れさまでした。

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