【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:A私を変えたあの人、あの言葉
「好き」にひっぱりこむ社会
愛知県  成見 薫 25歳


 「“好き”を仕事にする力」「天職は身をたすける!」「適職の地図」
 最近、というか数年前から継続的に、本屋に行くとこうしたタイトルが目立つ。背景には、多くの人が趣味嗜好や相性を重視して進路選択をしたいと思っている、という事実があるはずだ。
 この傾向は、SNSを開いても明白だ。「インフルエンサー」と称される人々が、様々なジャンルにおいて、それらの「専門家」となることで、多くの支持を得ている。また、彼ら彼女らの隆盛により、「私はこうして『好き』を仕事にしました」というノウハウ的な情報も溢れている。
 そういったインフルエンサーも含め、「好き」を仕事にしている人々は、確かに輝いて見える。ただ、このインフルエンサー全盛期において、「好き」を仕事にするべきだという傾向が、かえって若者を窮屈にしてはいないだろうか。
 かく言う私だが、実は九年前、まだ高校生だった頃に、この「若者を考えるつどい2016」で、「周りに何と言われようと自分を信じて夢に突き進もう」という趣旨のエッセイを執筆し、佳作をいただいた(タイトルは「誇れる仕事、誇れる自分」)。このエッセイ同様の心構えだった私は、無事第一志望の大学に進学し、無事希望する広告会社の企画職につき、そして無事に―うつ病になった。
 原因は、就職後の勤務地が地元に近い東京本社ではなく、地方支社だったことと、業務過多だと考えている。好きな人たちのいる環境で好きな仕事をすることが自分の「あるべき姿」だったのに、それができない不安を抱えながら、降りかかる業務に対応していた。そしてある日、ぱたりと何もできなくなった。
 休職期間、あらゆる意欲を喪失していたが、読書だけは不思議と気が進んだ。このとき読んだ様々な作品の中から、復帰のきっかけになった一節を引用する。
 
 「『放っておいても物事は流れるべき方向に流れるし、どれだけベストを尽くしても人は傷つく時は傷つくのです。(…)あなたは時々人生を自分のやり方にひっぱりこもうとしすぎます。精神病院に入りたくなかったらもう少しこころを開いて人生の流れに身を委ねなさい。』」(村上春樹著「ノルウェイの森」)
 
 「好き」を仕事にすることは、自分の決めた「好き」に「人生をひっぱりこむ」ことにもなりうる。
 思えば、まだSNSが興隆していなかった15年ほど前、私の小学校時代にも「あなたの“夢”は?」と問われる機会は多かったし、この頃、村上龍著「13歳のハローワーク」という、いわば、「好きなことから見つけるお仕事図鑑」をよく眺めていた。あのエッセイは、それまで自分が受けてきた教育にも影響されていたはずだ。そうした潮流の中にSNSが登場し、インフルエンサーが注目される今、それぞれの「好き」に沿って道を決めることが是とされる傾向が強くなったのは、きわめて自然な流れだ。だが、このインフルエンサー全盛期において注意すべきなのは、多くの人が「好き」を仕事にしていると勘違いしやすいことにある。結果、それは「あるべき姿」となり、だれも彼もみな、そのために自分を「ひっぱりこむ」。
 しかし、「好き」を仕事にするのはそう簡単ではない。好きなことを見つけるのも、追いかけるのも大きな苦労が伴うし、途中で、環境や出来事に阻まれる可能性もある。そうして、「あるべき姿」に到達しなかったとき、自分自身に「劣等生」というレッテルを張り、思い詰めてしまいはしないか。「好き」を仕事にして輝く人は確かにいるが、そうした主張が増えたすぎた現代は、まるで「そうしなければ辛い人生になる」とでも言わんばかりだ。
 人生の目的は何か。幸せに生きることではないだろうか。そのために必要なことは、決して「好きな仕事」だけではないはずだ。進路を考える若者が、一見ポジティブにも思えるこの風潮し、知らず知らずのうちに追い詰められてしまう。現代にはそんな若者が少なからずいるのではないかと、私は懸念している。

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