【厚生労働大臣賞】
昼休み、作業所のテレビからパラリンピックの中継が流れていた。車いすバスケットの試合だ。選手たちがぶつかり合う音と実況の熱気が、静かな空間に染み込んでいた。
そのとき、隣にいたKさんがつぶやいた。
「すごいなあ。あんなふうに動けたら、ええのになあ」
私は、返す言葉がなかった。何を言っても、嘘になる気がした。
Kさんは右半身に麻痺がある。週に4日、ヘルパーに支えられながらB型作業所に通ってくる。掃除の作業では左手で雑巾を扱い、右手は添えるだけ。でも、手を抜かない。誰よりも丁寧に、熱心に床を拭く。
「すごい」というKさんの言葉の奥に、届かない場所を見つめるような切なさがあった。その瞬間、私は思った。
──Kさんだって、すごいやんか。
でも、言えなかった。慰めに聞こえるのが怖かったからだ。
パラリンピックは「競技」。努力も、支援も、環境もすべてが揃って初めて成立する舞台。Kさんの世界とは、少し違う。
それでも私には、Kさんが毎日この作業所に「来る」こと自体が、ひとつの挑戦に思えた。真夏でも雨の日でも、電動車いすで30分以上かけてやってくる。誰にも評価されない、観客もいない。だけど、確かにそこにある挑戦。Kさんは「来ること」を、自分との約束にしているのだ。
ある日、Kさんがぽつりと言った。
「しんどいけどな、誰か見てくれてるって思うねん。家ではあんま喋らへんけど、ここ来たら、“今日も来たな”って言ってくれるやろ。あれ、けっこう嬉しいねん」
私は、パラリンピックでゴールした選手が泣きながら観客席を見上げていた映像を思い出した。見てくれる人がいる──それだけで、人は動ける。
Kさんの「来るまで」のことを、私は何も知らなかった。朝は1時間以上かけて準備をするという。トイレ、着替え、荷物の整理。そのすべてに時間がかかる。それでも彼は言った。
「なんもせんより、ましやろ」
その言葉を聞いて、私は自分の朝を思い出した。目覚ましを三度止めて、慌ただしく家を出る。そんな日々も「がんばってるつもり」だった。でもKさんの“1時間”に比べて、私の努力はどうだっただろう。
働くということが、成果でも職位でもなく、「止まらずにいること」だとしたら──Kさんは、誰よりも働いている。
支援の仕事を続けるなかで、私自身も迷いを抱えていた。「この支援は本当に意味があるのか」と。そんなとき、Kさんが変わらず来てくれる姿に、私は何度も励まされた。うまくできなくても、ゆっくりでも、「来ること」をやめない彼の姿が、私の背中を押してくれた。
支援とは何か。いつからか私は、その問いに自信を持てなくなっていた。だがKさんを見ていると、支援される側が、支援する側を立て直してくれていることに気づく。
私はKさんに「何かをしてあげている」と思っていた。でも本当は、Kさんの「今日も来る」という選択が、私自身を支えてくれていたのだ。
それに気づいたとき、「働く」という言葉の意味が変わった。職業や収入ではなく、日々、自分の居場所へ向かうこと。誰かに見守られながら、「今日もいる」ことを選び続けること。それこそが働くという営みなのだと思う。
今日もKさんは少し遅れてやってきた。汗をかきながら、いつもの掃除を始める。掃除機を押すその背中には、積み重ねてきた日々の重みがにじんでいた。
私はその背中を見て、心の中でつぶやいた。
「なあ、Kさん。今日も、ちゃんと走ってるやんか」