【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:B仕事を通じてかなえたい夢
誰かの『あした』に
埼玉県  みやじ 41歳


 私は今、義肢装具士をしています。これは事故や病気で手足を失った方のために、装具を製作する仕事です。もともと自動車整備士をしていましたがやめました。きっかけは兄です。十三年前、交通事故に遭って両脚膝下を切断しました。
 
 当時兄は高校の教師をしていましたが事故後は一変。通勤に時間がかかるためテレワークになり、陸上部の顧問も交代。対面でのコミュニケーションを好む兄にとっては前に進む足をもぎ取られたようでした。
 
 そのあとは重度のうつ病に。
 何とか仕事を続けようとリハビリに励みましたが、気分は落ち込むばかり。休みの日に散歩にと誘うと、「どうせ歩けないから」と断られました。体重は一カ月で七キロ減。最初に作った義足はまったく合わなくなりました。
 
 しかし転機が訪れました。
 ある日、義肢製作所を訪れると、担当者のSさんが対応してくれました。兄が「こんな身体じゃ何もできない。足がないだけで職場では足を引っ張る存在だ。絶望しかない」と言うと次の瞬間こう言ったのです。
 「私があなたの足になる。だからやりたいことをやりなさい。あなたが最もやりたいことは何だ?遠慮なく言いなさい」
 兄はちょっと考え、「生徒たちと一緒に走りたい」と言いました。そして完成までの一ヶ月。製作所に出向いては、ソケットの形や角度のことまで細かく話をしました。兄は出来上がった義足をつけて、「これなら四年後のオリンピックにも出られそうですね」と笑いました。久しぶりに見た笑顔。その表情を見て、私は涙が止まりませんでした。
 
 しかし、こんな意見もありました。保護者の中には「義足のことを生徒に話すべきではない」と言う人もいたそうです。実際、衣服の下に隠している人もいて、見せることに対してタブー視する風潮もあります。しかし兄は「足がないから何もできないとは思われたくない。実際、私は足を失った分、いろんなものを得られたんだ」と言いました。その言葉通り、学校では生徒たちが肩を貸してくれたり、荷物を持ってくれるそうです。卒業文集に「夢は義肢装具士」と書いた生徒もいました。兄の存在が、未来を切り拓くきっかけになったことは間違いありません。
 
 そんな兄は教職を退き、現在は第二の人生を歩んでいます。正直、兄が両脚を失った時は言葉になりませんでした。確かに義足があれば何とか生活はできますが、今まで通りとは行きません。失ったものを数えたらきりがありません。でも前に進む兄を見て、私も誰かの役に立ちたいと思えるようになりました。今は義肢装具士として三年目。「こんな身体になって」とうつむく表情はかつての兄を見ているようです。失業された方もいます。そんな時「私があなたの足になります。だからやりたいことをやりましょう。あなたが最もやりたいことは何ですか?」と言うと、自然と頬が緩みます。登山。水泳。社交ダンス。旅行。夢を語る表情はどれも嬉しそう。その表情を見て、私もどこか救われるのです。
 
 義足の役割とは何でしょう。義肢装具士になった、いま、よく考えます。確かに義足があれば一人で歩けるようになります。買い物にも行けます。スポーツもできます。しかし義足の本当の役割はひとりで歩けるようにすることじゃなく、「私がついているから踏み出してごらん」と安心させること。人生におけるそれは「私がいるからやってみなさい」と言ってあげる人。兄にとってはSさんでした。Sさんとの出会いが兄を変え、人生を変えました。
 
 果たしてこの先どれだけ多くの方に寄り添えるでしょう。手足が不自由でも、踏み出すチャンスは、きっと、あります。それを信じて私はこれからも働き続けます。
 
 誰かの『あし』に。
 誰かの『あした』になれるように。

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