【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】

テーマ:@仕事・職場から学んだこと
石の上にも一年
東京都  松原英子 54歳


 時は就職氷河期、1994年のこと。大学で特殊教育(現「特別支援教育」)を学んだ私は、小学校内の心身障害学級(現「特別支援学級」)に職を得て、低学年クラスの担任となった。
 そこで出会ったのが一年生のK君である。知的障害と自閉スペクトラム症が併存するK君は、ご多分に漏れず他者との関わりを苦手としていた。ここぞ四年間の学びの出番だと腕を捲った私であったが、K君の一番の問題点は、家庭で甘やかされ過ぎて育ってきたことだった。家族から目一杯の愛情を注がれてきたK君。その愛情が、偏食という副作用を生んでいた。
 主食はポテトチップス。加工肉以外は口にせず、魚は食べ物という認識すらない。野菜は鑑賞用の草花。教育以前に、この食生活を改めないことには、K君の健全な成長は望めない。肚を決めた私はK君のお母さんを呼び出した。
 「障害があるゆえ可愛く思うお気持ちはよくわかります。でも将来、彼はどうやって生きていきますか?作業所に入るにしても、まず求められるのは生活力です。好き嫌いなくなんでも食べるということが大事なんです。K君の長い人生を考えて、これから私は心を鬼にします!」
 今更ながら冷や汗が出る。世間知らずの新卒教員が、人生の先輩、しかも想像を超える懊悩を繰り返してきたであろう母親に対して大見得を切る。熱い志といえば聞こえが良いが、子どもを産んだこともないくせに、と反駁されたらぐうの音も出ない。しかしK君のお母さんは寛容だった。黙って私の目を見つめ、「わかりました」と言ってくれた。
 
 それからの日々、私が最もエネルギーを注いだのは給食の時間だった。帰宅すればポテトチップスが待っていることを知っているK君は給食を一切食べない。私はつきっきりでK君に給食指導をした。
 「今日はシチューを食べたら自由時間ね」
 「昨日はニンジン食べられたから、今日はデザートのキウイ一切れ頑張ろうか」
 言葉巧みにK君を促すが、そう上手く事が運ぶはずはなく、力いっぱい拳で叩かれる日あり、顔に唾を吐かれる日あり、教室から逃げ出される日あり・・・。正直、心折れることも一度や二度ではなかった。就職一年目にして自分に自信を持てなくなり、何もかも投げ出して、いっそのことお互い傷の浅いうちに辞めてしまったほうがよいのではないか、とも考えた。
 でもここで諦めたら、私の四年間はどうなるのだろう。高い授業料を払ってくれた両親にどう申し開きができよう。それよりなにより、目の前のK君の六年間はどうなってしまうのだ。人生のスタート地点で担任に見放されたら、この子の一生はどうなるのだ。
 浅慮を打ち消すようにかぶりを振り、「石の上にも三年」ならぬ、当面の目標「石の上にも一年」を私は心にぶら下げた。
 来る日も来る日もK君と私の格闘は続いた。そんな亀の歩みも二年生に上がる頃には徐々に実を付けはじめ、K君はなんと給食の献立を毎朝朗々と読み上げるようになった。K君の中に給食への楽しみが萌すようになったのだ。そして不思議なことに、K君は給食を完食するようになってから、他者との関わりにおいてぐんと成長を見せるようになった。笑顔も増えた。
 「先生!家でもポテトチップスより先に、ごはんを全部食べるようになりました!」
 お母さんからその言葉を聞いた時、喜びのあまり脱力した。鼻の奥がツンとなり、温かな感情の発露が目に大粒の球を作った。
 
 成果はすぐに出るものではない。日々の積み重ねは裏切らない。そして人間を直接的に相手とする仕事には、その出会いにしかない宝が秘められている。それは心の一番静謐な部分で、何十年も輝きを放ち続け、人生において困難に陥った際にひときわ大きな光となり、自身を支える糧となってくれるのだ。
 教員志望の若者減少が叫ばれている昨今、ひとりでも多くの若者が、私とK君が手中にしたような唯一無二の宝を見つけられることを私は願う。

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