【厚生労働省 人材開発統括官賞】
植物の根は、土の中に隠れています。花が咲くと、人はその美しい色や形に目を向けます。では、その花を支えている根を気にしたことはあるでしょうか?
根っこはふだん見ることができません。どこまで深く伸びているのか、どんな石にぶつかり、どんな水を探し、どんな暗い土の中を進んできたのか。外からはほとんどわかりません。働くことも、それに似ているのではないでしょうか。
仕事は、肩書きや成果や収入として見えることがあります。しかし本当は、その人が何に心を動かされ、何に傷つき、何を美しいと感じ、どんな問いを抱えて生きてきたのかという、目に見えない根っこの上に成り立っているのだと思います。働くこととは、ただ社会に出ることではなく、自分や相手の感性の根がどこから伸びているのかを知ることなのだと思います。
私は現在、芸術大学で教員として働いています。毎日のように学生たちと向き合っていると、働くことが何かを考えさせられる場面に出会います。将来イラストレーターになりたい学生。ゲーム業界でビジュアルデザイナーとして働きたい学生。アニメーターに憧れている学生。まだ自分が何者になりたいのかわからず、静かに迷っている学生。みんな、希望だけを抱えているわけではありません。むしろ、希望のすぐ隣に、不安や焦りや諦めそうになる気持ちを抱えています。
「好きなことを仕事にしたいです」と話す学生の目は、輝いています。しかし、その言葉の奥には、「本当に自分にできるのだろうか」、「好きなことを嫌いになってしまったらどうしよう」という不安もあります。私はその度に、「好きなことを仕事にすればいいよ」とは言えなくなりました。好きなことを仕事にすることは、夢のように美しい一方で、自分の未熟さや弱さと何度も向き合うことでもあるからです。
私自身も、そうでした。メディアアーティストとして活動し、研究し、大学で教える中で、私は何度も働くことの意味を見失いそうになりました。締め切りに追われる日があります。作品が思うように創れない日もあります。展示の直前まで機材がうまく動かず、夜中まで調整を続けることもあります。研究として言語化しようとすると、作品の中にあったはずの感覚が急に遠ざかってしまうこともあります。上の評価に傷つき、自分のやっていることには本当に意味があるのだろうかと考えてしまうこともあります。
それでも、私はこの仕事を続けています。なぜなら、作品や授業や研究が、誰かの心に響く瞬間を知っているからです。音に反応して映像が変わる作品の前で、子どもが何度も手を動かしながら笑っている場面や学生が面談の終わりに、「少しだけ、自分のやりたいことが見えてきました!」と笑顔になる時間。そうした思い出を振り返ると、働くことはただ成果物をつくることではないのだと気づかされます。
迷った時間や傷ついた経験は、すぐには見えなくても、深いところで自分を支える根になっていきます。もちろん、働くことはきれいごとだけではありません。生活があり、責任が伴います。努力がすぐに形になるとは限りません。むしろ、形にならない時間の方が長いかもしれません。根が伸びている時間は、外からは見えないので、誰にも褒められず、自分でも成長しているのかわからないことがあります。しかし、その根が豊かであればあるほど、きっと美しい花を咲かせます。
これを読んでくれた人たちに最後に伝えたいのは、働くことを早く一つの正解に決めなくてもよいということです。やりたいことがはっきりしている人も、まだ迷っている人も、自分の感性を大切にしてほしいと思います。何に心が動き、何に傷ついたのか。どんな景色を忘れられないのか。誰の言葉が胸に残っているのか。そうしたものは、一見仕事とは関係がないように見えて、いつか自分が働く意味の根っこになります。