【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】
大学の学部時代、下宿先の近くにあった縁で、介護施設でアルバイトをしていた。認知症になり日常生活を一人で送るのが難しくなった方や、これ以上の延命治療を受けることを望まない方が暮らすケアホームである。最後まで尊厳をもって暮らせるという理念を掲げている施設で、私は看護師の補助スタッフとして、食器洗い、掃除、オムツを補充、消毒作業などを担っていた。私がナースステーション脇の台所に立って食器を洗っていると、入居者の方々がよく話しかけてくれた。何度も同じ話を繰り返し聞かせてくれることも多かったが、雑用係である私に心を開いて話しかけてくれるのがうれしかった。
特に印象に残っているのは、Aさんという女性である。Aさんは、「ここはどこ」と、自分の居場所を何度も確認してくることがあった。看護師の方から、その行動の心理を教えてもらった。自己が失われていく感覚を自覚しているからこそ、場所を確認することで、「私は私だ」と確かめようとしているのだ、と。老いとともにあらゆる面で機能が低下し、自己の輪郭が薄れていく感覚とAさんは静かに闘っているように思えた。一方で、Aさんはかつて働いていたころの話を私にしてくれることもあった。知的障害を持った子供たちを担当する学校の先生だったという。その子供たちについて話すとき、Aさんはとても優しい目をする。その子供たちは、会話が断片的であったり、排泄の介助が必要だったりと生活面のサポートが容易ではなかったようだが、その子たちの心の純粋さとともに一緒にいられることが何より楽しかったと話していた。時には、担当する子供たちを自宅に招き、お泊り会をしたこともあったようだ。自宅に招くことでAさん自身の子供たちにも、実際に一緒に過ごすことで、障害のある人に対して先入観や偏見を持たずに育ってほしかったのだと、語っていた。Aさんの心の中には、かつて先生として、そして母親として、誰かと真剣に向き合った記憶が生き生きと残っているのだろうなと感じた。
時々自分の居場所が分からなくなり、介助を受ける側になった今でも、かつて知的障害のある子どもたちの先生として深く向き合ってきた記憶は、確かな熱を帯びてAさんを支えているように見えた。そのことに気がついたとき、私の中で働くことの意味が少し変わった。もちろん、働くことは、対価を得る手段でもあるが、誰かの人生に本気で向き合うことでもないだろうか。その温かい記憶が、自分を見失いそうになった時にも、心の奥で光続ける、そんな宝物になりうることを知った。
私はこの春から大学院に進学した。大規模な計算機を用いた研究を行っている。日々向き合っている膨大なデータや数式は、Aさんが向き合ってきた一人ひとりの人間の体温からは遠く離れているように思えるかもしれない。それでも、私が算出する数値の向こう側には、確かに誰かの暮らしがある。Aさんが目の前の子供たち一人ひとりと真剣に向き合ったように、私は科学的アプローチを通じて、見知らぬ人々の日常や命と向き合っていることに気が付いた。今後の私の挑戦は、計算機の中の基礎研究にとどまらず、その結果をどう社会に実装し、実際の防災や人々の暮らしを守る仕組みヘと繋げていくからを探求することだ。いつか私自身が人生の最期を迎えるときに、自分の心の中にAさんのような宝物を持てるよう、そして誰かの人生に少しでも温かいものを残せるように。私は今日も計算機に向かっている。