【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】
「先生、私はなぜ生きているのでしょうか」
その問いを受けたとき、私はすぐに答えられなかった。医学部で学んだ六年間にも、医師として働いた年月にも、その問いに対する正解は載っていなかったからである。
私は若い頃、働くとは答えを出すことだと思っていた。病気の原因を見つけ、適切な治療法を選び、患者を回復へ導く。問題を解決し、成果を出すことこそが仕事の価値だと信じていた。
しかし現実の医療は、私の考えよりずっと複雑だった。どれほど検査を重ねても原因がわからない病気がある。最善を尽くしても進行を止められない病気がある。そして病気そのものより、生きる意味を失った苦しみの方が深い患者もいる。私は何度も、医学の限界と自分自身の未熟さの前に立ち尽くした。
特に忘れられない一人の患者がいる。長い闘病生活を送っていたその人は、診察の終わり際に静かに尋ねた。
「先生、私はなぜ生きているのでしょうか」
私は聴診器を握ったまま言葉を失った。医師としてなら病状の説明はできる。薬の効果も副作用も説明できる。しかし、生きる意味だけは説明できなかった。結局、その日私は答えを見つけられなかった。ただ話を聴き、一緒に考え続けるしかなかった。
その帰り道、自分自身に問い続けていた。働くとは何なのだろう。答えを出せない私は、仕事をしていると言えるのだろうか。成果を生み出せない努力に意味はあるのだろうか。
そんな迷いを抱えながら数か月が過ぎたある日、その患者はこう言った。
「先生はいつも答えをくれませんでしたね」
私は少し身構えた。ところが続く言葉は予想外だった。
「でも、一緒に考えてくれました」
その言葉を聞いたとき、私の中で何かがほどけた。働くとは正解を与えることではなく、誰かの不安や孤独に寄り添い、ともに悩み、考え続けることなのかもしれない。
その学びは医療の現場だけにとどまらなかった。私は研究にも携わってきた。若い頃は研究を続ければ真理に近づけると思っていたが、一つの疑問に答えが見つかるたび新たな疑問が生まれ、期待した結果が得られないことも少なくなかった。研究とは答えを集めるより、問いを深める営みだった。
書く仕事に携わるようになってからも、それは変わらなかった。どれほど時間をかけて文章を書いても、誰かの人生に万能の答えを与えることはできない。それでも読者から、「自分だけではなかった」「少し気持ちが軽くなった」という言葉をいただくことがある。そのたびに、言葉の役割もまた答えを示すことではなく、問いや悩みを分かち合うことなのだと感じる。医療にも答えきれない問いがあり、研究にも終わりはない。言葉もまた、人を完全に救うことはできない。それでも私は、その不完全さの中で人と向き合い続けている。
今、AIは驚くほど多くの答えを示してくれる。知識を探し、文章を書き、分析を行う能力は、人間を上回る場面さえある。しかし私は思う。AIは答えを示せても、何を問うべきかを決めることはできない。
人が本当に苦しむとき、求めているのは答えだけではない。自分の迷いや不安を受け止め、ともに考えてくれる存在である。だから私は、これから社会へ出る若い人たちに伝えたい。働く中で迷うことを恐れないでほしい。自信を失う日があってもいい。答えを出せない自分を責めなくていい。
若い頃の私は、早く答えを見つけたいと思っていた。しかし振り返れば、私を支えてくれたのは答えではなく問いだった。
あの日の患者の問いに、私は今も答えを持っていない。あれから長い年月が過ぎたけれど、私は今も、ときどきその言葉を思い出す。そして、その問いを抱えたまま働いている。おそらくこれからも。