【公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞】
午後5時半。作った夜食の弁当と翌朝に食べるサンドイッチをリュックに入れて自転車で出発。これが私の3日おきのルーティン。現在の六十三歳に至るまでに就いた三度目の仕事は総合病院の夜勤事務員である。業務の内容は夕方から翌朝5時まで医師と看護師のサポートにあたること。夜間診察の受付や医師への連絡、入院中の患者さんへの給食の配膳、また時には救急車で搬送される急患の受け入れなど内容は多岐に亘る。何より病院の主人公…というと変だが入院中の患者さんが治療や療養に専念できるよう常に気を配ることが私達病院職員の努めである。入院されて不安そうな患者さんには笑顔で接し、検査の数値が良くなった通院患者さんには、良かったですねぇ、と小さな幸せを一緒になって喜ぶ。多忙だが、やり甲斐のあるこの仕事に就いて早や3年が過ぎた。
それまで私は警察官を二十二歳から定年の還暦まで勤めて退職した。退官する時には再雇用も打診されたが丁重に辞退した。刑事だったが警察官をやり切った満足感で一杯だったからだ。その後、再就職で半年間だけ民間企業に勤めた。個人資産の運用に携わるその企業には「部長」という肩書きで採用されて毎朝、車で運転手が迎えに来るような待遇だった。だが殺伐とした企業風土が私の肌に合わなかった。退社する旨を告げた時は唖然とされて周囲からも勿体ないといわれたが私には全く未練がなかった。退職したその日の帰り道に「夜勤職員募集」とのネット記事を見つけ、飛び込みで面接を受けた。「警察を定年まで?凄いですね」と感心されて「明日からお願いします」といわれた時には逆に驚いたが、後に採用の理由を「人に寄り添えるお仕事をされていたから」と聞かされて、一生懸命に一つの仕事を成し遂げたら必ず誰かが見ていてくれると思った。と同時に、そんな自分を見抜いてくれたこの病院で私にできる最善を尽くそうとも考えた。
先に病院の主人公は患者さんだと書いたがその方達は悲喜こもごもだ。快癒して無事に退院される方もいるが儚くもお亡くなりになられる方もいる。そんな中で夜中にお母様を亡くされた若い姉妹のご家族がいた。葬儀社を決めるのに途方に暮れて2人で泣いていた。私には葬儀社の知り合いがいた。差し出がましいと思ったが、「良かったら検討されてみたら」と連絡先のメモを渡したところ、その葬儀社がお迎えに来て、お姉さんが涙ながらにいった。「葬儀を出すのも初めてで何も分からなくて。本当に助かりました」。お見送りした他の看護師さん達からは私の執った行動が労われた。「寄り添いのプロになったねぇ」と。寄り添いのプロか。こんな言葉があるのを私こそ初めて知った。
そんな私の体験から働くってなんだろうと考えている人に送りたい。現代は私達のように昭和の時代に職業を選択した頃とは違って労働選択の間口が広く、その分、転職も容易だ。だがすぐに転職する前に次のステージで使えるスキルは持っていよう。それは免許や資格など形があるものでなくていい。例えば会話力や人を元気にさせる明るい性格なんて、同僚やお客さんを和やかにさせるとても素敵な武器だ。また逆に転職したいけど踏み切れない人もいるだろう。特に年齢を重ねる度に新しい環境に移ることにためらう。今さら苦労したくないし、前職以上の給料の保障もないかも知れない。でも一つ、誰もが持っているものがある。それが可能性だ。私の場合は定年退職という節目を終わりにしなかったから新しい挑戦ができたと思う。特段、優秀なスキルもなかったが人に寄り添える仕事をしていたことで助けられた。僅かな可能性だったが自分を信じて挑戦してみて良かったと思う。そうだ。自分を信じよう。これだって素敵なスキルじゃないか。
今夜はどんな寄り添いが待っているんだろう。風を切って漕ぐペダルが軽い。