【 厚生労働大臣賞 】
母が祖母の介護疲れのため、倒れた。15年程前のことだ。会社員だった父と、子ども服メーカーに勤め ていた25歳の私は、会社を交互に遅刻したり早退して、母と祖母の介護に右往左往した。ほどなく、そ んな生活は二進も三進も行かなくなり、ある晩、父は私に、 「会社を辞めてくれんか。」 と、力なくつぶやいた。その時の暗い部屋、蒼白した父の顔を今でもよく覚えている。
会社に相談すると、自宅で仕事を続けてはどうか、と提案してくれた。子ども服や雑貨の柄のデザイ ンし、それを図案にするという仕事だったため、自宅でもできるのでは、と判断してもらえたのだ。正 社員から契約社員となったものの、やりがいのある仕事であったので、続けさせてもらえるなんて、本 当に嬉しかった。
会社とは、メールでやり取りとなった。私へ依頼を出したり、私からのメールを受信する社内の方に は、迷惑をおかけしたと思っている。それでも、快く依頼をいただき有り難かった。新しい依頼が入る たびに、私も必要とされているんだな、と感じられた。
仕事は、家事や介護の合間にやった。鍋を煮込んでいる間、洗たく機が回っている間、夜に家族が寝 ている間など、時間を見つけては仕事をした。家族のことをいつでも看られるし、好きな仕事もできる、 とても充実した毎日だった。父も、私が家にいることで安心して出勤できた。次第に母の体調も戻り、祖 母の生活の在り方について、家族でじっくり話し合う余裕もできた。
私ひとりの働き方が変わっただけで、家族4人の生活が健やかなものとなった。
その後、将来子育てをしながら働くことを想定して、在宅での仕事の幅を広げた。この働き方だった ら、自分でスケジュールを調整しながら、長く働ける。子どもが学生となった時、病気や怪我をした際 は側にいてあげたいと思ったし、子どものことや学校のことで度々会社を休むことが、私にとっては苦 痛になるような気がしたからだ。そうと決めたらすぐに様々な企業に問い合わせ、今までの仕事をまと めたポートフォリオを持って営業に回った。
そうして縁のあった会社と仕事をさせてもらって15年になる。その間、結婚、出産をして、今も子育 て中だ。仕事はずっと続けてこられた。出産直後、家事は赤ちゃんが起きている間に、赤ちゃんが眠っ ている間を仕事の時間に充てた。小学生となった子どもたちのテストの点数が下がってきたと感じた時 は、仕事の手を休めて勉強を見てあげられる。すると、徐々に学力も上がって持ち直した。子どもとい る時間が長いと、いろいろなことを感じ取ってあげられる。
この生活を、とても幸せだと私は思う。もしあの時、会社から在宅での仕事を提案してもらえず、介 護と家事だけをする生活になっていたら、私たち家族は健やかに暮らせていただろうか。きっと両親は、 娘に仕事を辞めさせてしまったという罪悪感を抱き、娘は親に対して、やりがいを奪われたと思いなが ら生活したのだ。
会社側は、勤めづらくなった社員が仕事を続けながらも、健やかに日々を送るにはどうしたらよいの かを考えるべきだと思う。
また、社員側は、そのように考えてもらえることを当然の権利と思ってはいけない。なくてはならな い存在になっていかなくては。その努力は、確実に未来の自分へチャンスを投じていることになるのだ。