【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】
「天職だと思っています」
介護士の原田さんがそんな言葉を口にした時、私は複雑な思いでそれを受け止めた。
天職です、と何のためらいも恥ずかしさもなく素直に口に出来る人に、今まで出会ったことがなかっ たからだ。
脳梗塞が原因で半身不随になった母のために週二回、原田さんは自宅まで来てくれる。
雨の日も風の日も、休む事無くママチャリで各家庭を廻っている。
身体を拭いたり、簡単なリハビリをやってくれながら、母に話しかける。
「キクちゃん。どこか痛いところない。かゆいとこは、しびれは?」
最初に来た時、原田さんが言った。
「お母さんを名前で呼ばせていただきますがよろしいですか?認知症も少し出ているようなので、なる べく自分が誰かを認識させてあげたいので」
そして母を、菊枝さんではなく、最初からキクちゃんと呼んだ。そう呼ばれた時の母は、まるで子供 にでも戻ったように無邪気な笑顔を見せた。
初日の数分で原田さんは母の心を掴んでしまった。
母もそんな原田さんが来るのを楽しみにするようになり、原田さんが来た日は一日中穏やかに過ごす のだった。そして原田さんが帰る時には必ず、ありがとね、とまだ動く右手をふる。クシャクシャな笑 顔を添えて。
そんなある日、お茶でもどうですか、といつものように断られるのを承知で原田さんを誘った。以前、 娘にもらったと言うミッキーの腕時計に目を落としながら、「次のお宅まで少し時間があるので・・・。
それでは遠慮なく」と言ってはじめて茶の間に入った。
お子さん二人はすでに独立し、ご主人は会社を経営していると言葉少なに語ってくれた。
そんな方がなぜ?と私の顔に書いてあったのだろう。
「キクちゃんがつい先程『ありがとね』と言ってくれましたよね。私は主人のおかげでこれまでなに不 自由なく過ごして来られました。もう亡くなりましたが、主人のお母さんの看病を始めた頃から、次第 に私の意識が代わり始めたんです。それまでは、よくある嫁姑で決していい関係ではありませんでした。
しかし、そんな状態になった母が普段頼れるのは私しかいません。そんな母の世話をしているうちに、不 思議とそんな事をしている自分が、以前より生き生きしていることに気づいたんです。以前は絶対に口 にしなかったありがとうを、気弱になった母から日に何度も聞くようになり、そのたびに、私の中にあ りがとう貯金が溜まって行きました」 「『ありがとう貯金』いい言葉ですね」 「あっ、実はこれ、今思いついたんです」 と、素直に白状しながら原田さんは続ける。
「普通、貯金と言うと増えれば重くなりますが、この貯金は増えれば増えるほど心が軽くなって行くん ですよ」
私はやっと原田さんの言った天職の意味がわかり始めた。
おそらく原田さんは、知らぬ間に自分探しをしていたのだ。母親の介護がきっかけで、それを見つけ た。人のために何かをしたい。人の喜ぶ顔が見たい。それが自分に取って最も素直で幸せな日々をおく れる仕事なのだと。
「ボランティアと言う選択もあるとは思いましたが、逆に仕事にすることで自分を甘やかさないように しようと。いい時ばかりは無いですから・・・」
決して口には出来ない介護士の苦労も改めて知ったのだろう。それも含めて天職だと言う原田さんは、 「つまらない話を」と照れ笑いを浮かべながら次の訪問先へを帰って行った。
そんな後ろ姿に思わずつぶやく。
(ありがとう、原田さん。天職に出会えたあなたも、そして私たちも幸せです)