【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】
若い頃から『仕事』が好きだった。
好奇心が旺盛で、バスガイド・弁当屋・保母など、10本の指に納まらない程経験して来た。
結婚当初、夫も私も会社員。半年後に長女、その1年後に次女が授かった時、 「私、専業主婦になり、娘達を育てます!!」 と夫に表明。2人を保育所に預けると、私の給料の大半が消える事もあり、何よりも娘2人と、日がな 一緒にいたかった。
(いつの日か社会復帰が来る日を待つ)。
だが、幸せの連鎖は翌年も続いた。2人合わせて7キロのビックな3女・4女が誕生。
結婚3年目にして四姫の親になった夫と私。『子宝』という言葉が大好きな私の元に、双子から3年後 に長男、10年後に次男が授かるという『幸せハプニング』が続いた。
40歳を前にしての出産。
次男の小さな小さな手の平を見ていると、 (この手で?みたい夢は、何でも叶えたい) と真摯に思ったものだ。
2Kのアパートは狭く、一戸建てを購入。ローンの返済、教育費、生活費など、考える事が、頭の中 でひしめき合っていた。
宝子達に幼い頃から言い続けていた事がある。
1、働かざる者、食うべからず。
1、国公立大なら4年、私立大は2年。
1、自由と責任の関係。
例えば “大学進学をしたい” 場合、沖縄の離島である石垣島から本土の大学進学時に、入学金、授業 料など莫大なお金が必要だ。
「さて、どうする?」
夜8時は全員集合、夕食時、一日の出来事、夢を語り合う、家族会議の場と化す。
宝子達が、夢を追っかけても良いように、オギャーと産まれてすぐ、18歳満期の保険にも加入した。が、 それだけでは勿論足りない。会議で決まった事は、早朝の新聞配達だ。
小学2年から島を離れるまで、親子で頑張った。給料の大半を『夢貯金』とし、小遣いも自らで工面 した宝子達。
沖縄の教訓歌『汗水節』に、
♪朝夕働ちよてぃ 積み立てぃる銭や
若松ぬ栄い年と共に、シュラヨ~働らかな♪
がある。大学進学が決まり、入学金・前期授業料・旅費・アパートの家賃などに充当する事が出来た。基 本的に仕送りなし、奨学金とアルバイトで生活費を捻出する。不足分は、松井銀行から借入となり、就職した暁に返済となる。
大学4年生の次男は、2月から横浜の長女一家を拠点に就職活動に入り、那覇や東京での企業説明会、 面接を繰り返し挑戦してきた。
こんなに真摯に『仕事』に向き合う次男は、 「根性は、石垣島で培われた」 と豪語するも、中々内定が降りないと落ち込み、泣きながらの電話もあった。
「先取り不安はしない!!夢を諦めないで♥」
果たして6月中旬、本命の企業から内定が。
今までの涙が、真珠に変った!!感涙だった。
現在、卒論に苦しみながら、部活・4年目に入ったアルバイトで生計を立てている。
子育てが落ち着いたら、さっそうと外に出て働く夢を抱いていたが、実母の介護・自身の病気などが 重なり、柔軟的に対応できる登録ヘルパー(10年前に資格を取得)八重山ミンサ伝統織物の職人として 現在に至っている。
私の働き方改革は、年齢も加味し、体力・知力と相談し、その時の状況に合わせて、変幻自在に色を 変えるカメレオンのように働くのが肝要かなと思っている。
我が家の宝子達は、夢を叶えた子、夢半ばの子、六人六様の人生舞台を果敢に生きている。今の “若 者” を生きている。
若者よ!!やる気と情熱を友にして生きよ、自ずと道は拓けると思う。
人生の先輩として、エールを贈り続けたい。