【佳作】
私はダブルワーカーだった。高校卒業後、基幹産業を担う大企業に就職、流行の寿退社そしてあっけ なく離婚し、何の取柄もなく、子供を育てるため両親が生業としている理容師になる決心をした。専門 学校を卒業し、父の知り合いで市内に五店舗の理容室を経営するオーナーに頼み、その中の一店舗で修 業をしながら働かせて貰うことになった。一人前になるにはどれだけ時間がかかり大変なことかは子供 の頃から真近で見てきた仕事なだけに百も承知だった。しかし、仕事を覚えるより一緒に働く職人との 軋轢に苦しんだ。
職人は、店の中で給料を支払うオーナー以上の絶対的権限を持ち、自分の技術が一番という自負のも とで働く。たとえ世間一般では非常識なことがあっても客がつき利益をあげていれば全てが評される世 界だ。口出無用のオーナーは滅多に店に現れず、私が学校や元の職場で培ったモラルの一切が否定され た。新参者に居場所を奪われまいと、私が客に重用されることを嫌い「仕事は見て覚えるもの」という 大義名文のもと10年間、見習いとして都合よく使われた。
いつまで経っても先が見えない絶望感と、虐げられる待遇への我慢が限界に達しそうになったある日、 地元に初進出するアミューズメント施設のオープニングスタッフ募集のチラシを手にした。研修期間が あり自分の希望シフトで働ける魅力に惹かれ、すぐに面接を受け採用された。
そこは仕事に関することの一切が全国統一のマニュアルになっていて例外はあり得ないという、私が 置かれている職人の世界とは正反対だった。しかもそのマニュアルは私の思う常識と一致し、私は間 違っていないのだと太鼓判を押された気になった。
理容師としての仕事に支障がでないよう、深夜週2日、私はマニュアル通り、笑顔を絶やさず一生懸 命働いた。事務所には必ず社員がいて仕事振りを評価してくれ嬉しかった。アルバイト先では認められ ているという自信が私を強くした。この先、何かあったら啖呵を切って店を出て行こう、バイトをして いればなんとかなるさ、そう心に言い聞かせ、機嫌よく見習いに徹した。
そしてまた10年が経ち、状況は随分変わった。職人は高齢となって店を去り、人手不足からオーナーが 維持できなくなった一店舗を譲り受け、私は自分の店を持った。ダブルワークという言葉は定着し、雇 用形態は多様化、一緒に働いていたアルバイトスタッフが正社員として採用され、何人ものフリーター の若者が飛び立って行った。
私は今、月火水曜日は自分の店、木金曜日はパートタイム理容師として他の店、金土曜日の深夜はア ルバイトをするトリプルワーカーだ。もし働くのは一つの職場と固執していたら一人前の理容師になれ なかっただろう。複数の職場を比較することで様々な悩みを解決し、自分の知らなかった一面を知るこ とができた。意外に体力があること、仕事となると整理整頓に神経質になること、デスクワークはミス が多いことなど「やりたい仕事」と「合っている仕事」のギャップがはっきりし、結局自分には理容師 が一番合っているのだと修業を続けることができた。そして、たとえ理容師を諦めることになっても、 他の仕事をしながら求職活動ができる、取り合えず無収入にはならないという安心感が心を落ち着かせ、 短気を起こさずに済んだ。アルバイトをしているお陰だった。いくつも仕事をしなければ収入が足りな い、からこんな風に働けるのはありがたい、に変わっていった。
最近、ひとり暮らしとなって、のんびりしていると、まだいけるかも、とつい、求人募集を見てしま う。
「私って働き者だなあ」
そう思ったら笑えた。一番大切なことにやっと気づいた。