【佳作】
28年前、私は新宿のビルの一室から外を見て、「私にできる仕事は、この世の中にひとつも無いのかも しれない」と絶望的な気持ちで考えていた。バブル絶頂期に、就職活動に失敗した私は、今で言うとこ ろのブラック企業に入社した。仕事は、一台68万円のコンピューターを誰でもよいから売ってくること。
休みはなし、ノルマは月2台、全て売れない私は、毎日の様に責められ精神的に追いつめられた。心が 少しずつ疲弊し、耐えられなくなった私は、たった2ヶ月で仕事を辞めた。
半年間の求職活動で、念願だった成田空港での地上職の仕事を得た。地上職といえば、チェックインカ ウンターを想像していた私だったが、配属されたのは、航空会社のVIPラウンジだった。最初は向い ていないのではと危惧していたが、ここで私は、水を得た魚の様に伸び伸びと楽しく仕事をすることが できた。もともと人にサービスしたり、話をすることが好きだった私に、この仕事は天職であった。10 年間ラウンジで働く中で、航空会社の機内通訳やイタリアでのバスガイドにも派遣され、様々な仕事を 経験させてもらった。
その後、ルイヴィトンのコンシェルジュとしてVIP担当要員となり転職した。4年後結婚を機に、 今までの経験を生かせる仕事として、企業の研修を請け負う接待インストラクターとなった。最初の8 年間は、ほとんど仕事がなく、辛い日々が多かった。自分の中で一人前の講師となるのは、10年はかか ると思っていたので、あきらめず自己研鑽を続けた。私に依頼される仕事は、どんなことでも受け完璧 に期待以上の成果を出す。このことを10年続けたところ、仕事が徐々に増えていき重要な仕事も任され るようになってきた。
自分でこれをやりたいと決めたら、決してあきらめず、どうしたら上手くできるのか、常に考え努力 し継続することで、ある日、自分が思っている以上の実力が開花するということを身に染みて実感した。
私がずっとしたかった仕事とは、自分の言葉、態度、持っている知識や経験を生かし、人の役に経つこと 誰かの背中を押してあげられる人になること」ということに気が付いた。そのためにできることは、何 でもできた。話し方、コーチングキャリアコンサルタント等の資格を取り、まだまだ勉強が必要である と感じている。しかし、プレッシャーや努力が今はとても楽しめている自分がいる。ここまで自分を駆 り立てられるのは何故か、そこには誰かの役に立っているという実感があるからだ。人にはそれぞれ自 分の持っている良さがある。できることが限られている。一つでも良いので、それを磨き続ける努力を 惜しまないこと、自分をあきらめないこと、誰かの役に立つことを常にに考えて行動すること、このこ とがプロフェッショナルになる近道であると考える。そのような仕事をできる幸せ、喜びは、人生の充 実につながる。仕事は自分の在り方を決める。どのような自分でいたいのか、それが仕事をするという ことにもつながっていく。一人でも多くの人が、自分の仕事に誇りを持ち、生き生きと仕事をする社会 になれるよう、微力ながら、私も自分の在り方を通して若者をサポートしていく所存である。