【佳作】
大学で就活を始めた頃、自分には特に夢がないことに気づいた。周りをみると、卒業と同時に結婚す る子もいれば、憧れの職種についた友人もいた。自分は、ただどこかの会社に内定をもらわなくちゃと 焦燥感にとらわれるばかり。
結果、大手メーカー企業の営業に採用された。しかし、想像を絶する激務。当時住んでいた神戸~大 阪の勤務地までの通勤ラッシュも初体験し、それだけでグッタリしているのに、何時に終わるかもわか らない仕事。営業ノルマ。取引先からは女性だろうが新人だろうが、容赦ない叱責を受ける。おかげで 同期の一人は、1ヶ月もたたずにやめたほどだった。それでも歯をくいしばり、仕事を覚え、なんとな く形になった1年後。
無理が祟り、とうとう体をこわし退職することになってしまった。社会人失格のレッテルを貼られた ような気持ちで会社を去る時、警備員のおじさんが 「1年よくがんばったね。長く持った方だよ。おつかれさま」 と言ってくれたのが、唯一のなぐさめだった。幸い、大病ではなく数ヶ月で回復したが、無職であること に焦燥感を感じる日々に逆戻り。やりたいことは見つからないまま、体力にまだ不安もあったので、と りあえず兵庫県庁でアルバイトをすることにしたのだった。
そこで配属されたのが、兵庫県教育委員会新聞記者室だったのだ。各新聞記者さんのお世話をするの だが、ここで私は大きな刺激を受けることになる。そこに、同世代の女性記者がいたからだった。
当時はまだまだ男性社会。その中で頑張ってる彼女は自然と目についた。
おじさん記者さん達には 「もうちょっと肩の力ぬいてみたら?」 と言われても、眉間にシワを入れたまま彼女は全力で走り続けていた。そんな少々無器用な彼女のこと を、私はいつしか応援するようになっていた。
そんなある日、彼女が珍しくニコニコ笑顔で出庁してきた。理由をたずねると 「へへ、実はね。私の記事が朝刊に大きくのるのよー」 と、バッと広げた新聞記事を覗きこむと、確かに末尾に彼女の名前が。
カッコいい!と思った。
そして、私はこのままで人生をあきらめていいのか、と初めて自問自答したのだ。私も彼女のように 輝きたい!心の中に、初めて希望の光が生まれた瞬間だった。
自分に変化が表れると現実も変わるのだろうか。それからしばらくして、信頼していたある知人の 「声が綺麗からアナウンサーになったら?」 の一言で、心が決まった。
もちろん局アナを目指すわけではない。地方の事務所に入り、結婚式やイベントをするフリーアナウ ンサーなら、この年齢でも十分間に合う。そう確信した私は、その年から大阪でアナウンスの勉強を始 め、2年後ある事務所のオーディションに合格して、デビューすることができたのである。30歳を目前 にやっと新しい仕事の扉が開いたのだった。周りの友人達は、結婚や子育てにシフトチェンジする頃に 私はやっと自分のやりたいことに出会え、環境は激変した。
そしてその仕事は38歳で遅い結婚をして、41歳で出産するその時まで続いたのだった。
夢はあきらめない。あせらない。卑屈にならず、まずは与えられた目の前のことに全力をつくす。そ うすれば道は開く。必ず開ける。
専業主婦に移行した今も、私はそう確信している。