【佳作】
「オレは魚を獲ることしか知らん」と言うのが、60年以上漁師という仕事を生業にしてきた父の口癖 でした。
「働くってなんだろう」という一つのテーマを考える時、もう一度この父の口癖だった言葉を思い出 さずにはいられません。
漁師という仕事ではこれから先の将来はない、と頑なに家業である漁師を継ぐことを拒んだ父でした。
その思いもあり、私は高校を卒業すると同時に地元企業に入社し、26年間サラリーマン生活をしてきま した。
一つの仕事を死ぬ直前まで続けてきた父とは違い、私は勤めた会社を退職し、今は会社を起業して4 年目になります。
私のサラリーマン生活が始まって2年か3年経ったころでしょうか、自分の職場である海に誘うこと のない父から漁に誘われました。朝3時過ぎに起きて、母に作ってもらった弁当を抱えて父の職場に一 緒に向かったのです。
明るくなる前からしばらく漁を続け、水揚げも一段落した頃、父が話しかけてきたのです。どうだ、会 社は。とかそんなたわい無い会話をしていた、その時、一言。この海でお前たちは育ったんだ。その時 は一瞬何を言っているのか分かりませんでしたが、今いる場所は360度広がる大海原、自分がどこにいる のかも理解できていません。更に父が言ったのは、オレは目に見えないところにいる相手を、船動かし て、必死に探して漁をして生活しているんだ。お前は陸(おか)の上の会社という場所にいて、目に見 えるものを相手に仕事して、話しも出来るじゃないか、それにオレと違ってお前は勉強もしたし、知識 もある、魚を獲る以外他には何も出来ない人間とは違うのだから自信を持て。と、言われたのです。
その頃私は、父の仕事のことはもちろん、働くということを理解出来ていなかったのです。あの海の 上でのほんの少しの会話は、心に大きな揺れを与えてくれたと、今でもはっきり覚えています。
その時、僕はこの人と同じことは出来ないし、一生追い抜くことはできないな、と思った瞬間でした。
同じ働く人として最大限の尊敬を抱いたのです。
私は、働くということを、全て父からそしてこの船の上で学びました。
今、ITの飛躍的な普及で将来無くなる仕事があるかもしれないと言われています。漁師さんの仕事 も大きく変化しているかもしれません。ただ、水揚げして消費者に向けて届ける、ということは父の時 代も、そしてこれからも変わることはありません。仕事とはそういうことではないでしょうか。無くな るかもしれない仕事を探すことより、見えない魚を探し出す技術を高め、もっともっと効率的にたくさ んの魚を季節ごとに水揚げして、お客様のもとに届けることを考えたいと思います。
仕事をする、働くということは、目には見えないかもしれないけれど、誰かに伝える、誰かに届ける、 誰かのために活動していくことが原点ではないでしょうか。生活をしていくための手段として働くとい う基本原則はあります。豊かなライフスタイルを求めて色々な仕事を選択すると思います。が、どんな 仕事をするにしても、働くというのはどういうことか、ということを忘れてはいけないと思うのです。
私は、乾燥食品を作ってお客様に届けるという仕事をしています。新しい商品を考える時、他の会社 よりも良いものを作るぞ、と思っても良いものは出来ませんが、誰かのために美味しいものを食べても らいたい、と思った時に初めて納得できる美味しいものが出来るのです。
働くとは、他の何かと、誰かと比べることではありません。そこに居る誰かと、自分をつなぐ、それ が働くということだと、私は信じています。