【佳作】
人生は山あり谷ありと言われるが、安定的な働き方はいつの間にか理想となり、私の職業人生もまる でつなぎ合わせのパッチワークのようだ。
短大時代の私は、曖昧な気持ちで入学したため、自分の進路も結果的に両親の希望に従って公務員に なった。結婚後2人目の出産を機に退職し育児中心の毎日が続いた。ふと、これが私の望んだ生き方な のだろうかと漠然とした思いが浮かんだ。
そうだ、私の中学生の頃の夢は「学校の先生」だったはず。ならば、もう一度働くために挑戦を決意 し、30歳で大学に入学した。家事・育児・学生に加え、その間には子どものPTAと町内役員まで引き 受けて奮闘した。目標のある学びから生き生きと何事にも必死に向き合った自分を今なら褒めたいと思 う。
大学卒業後は、20年越しの夢を実現して私は県立高校の教員となり第二の職業人生をスタートさせる ことが出来た。念願叶って就いた教師の仕事は、授業準備、進路・生活指導、学校行事に部活顧問、研 修や会議等々で常に時間に追われる毎日だった。新米教師の私は校内を走り回り、帰宅すると家事をこ なし、一段落してようやく持ち帰り仕事に取り組んだ。疲労感があっても、私にとって教員の仕事は誇 りとやりがいがあり、まさに充実した職業人生のはずだった。
時間をかけて叶えた職業は、考えてもいなかった癌治療のため、2回の手術入院を経て健康回復を優 先する退職となった。私の教員生活は選択肢がないまま、あっけなく終わってしまった。誰よりも努力 してきた自分が惨めで喪失感は相当なものだった。だが、気づいたこともある。私にとって働くことは 生きることと背中あわせだったのだ。順風な職業人生であったならこんなふうに考えることは無かった だろう。私は生かされた人生を歩み、新たな職業を探す時間も手に入れたのである。
そして現在、私は公共職業安定所に勤務している。最初は心理相談員に就いた。大学入学後に教師か スクールカウンセラーになろうと心理学を専攻していた。諦めた教員経験が活かされる第三の職業人生 である。とは言うものの相手は生徒でなく失業者だ。終身雇用で安定的な生活は昔話のようで、今では 非正規雇用が若年者から中高年世代にまで広がり、派遣社員と言う不安定な就労と格差構造が問題視さ れている時代である。仕事は生きるため、働き続けて疲弊した求職者の姿が教員時代の自分と重なって 見えた。私の人生経験でも、こうして対人支援に活かせる日が巡って来るとは思ってもみなかった。
昨年から私は、生活保護者等就労支援担当に就いている。まさに山あり谷ありの人生を歩んできた 方々だ。働きたいが働けない、働けるのに働かない、働くとは何なんだろう。様々な事情で今に至った 老若男女とどう向き合えばよいのか毎日が苦悩の連続だ。誰もが世の中にある職業なら働けると思って も、彼らにとって働くとは究極の命題で、正解はなく一人一人が違う答えを人生論として持っている。
つまり、年齢や学歴、働く場所や仕事内容に違いがあっても、自分の職業人生にその経験をどう活か し繋げるかを考え、働きながらその価値と重要性に気付くことが大切なのである。私は12年前に教員を 辞めたが、今は社会人をしながら母校の大学院に進学し、働きやすい職場づくりについて研究している。
一度挫折しても目標を見つけるために前に進み、学ぶことに終わりはない。生かされた人生を歩んでき た私の働き方への提言である。