【佳作】
「便処(べんしょ)行きたいが」
「たった今行ったばっかりですよ」
「しっこ出そうな」
「今、行ったばっかりで、もう出ませんよ」
「行きたいがよー」
今年95歳になるAさんは車椅子使用の老女である。加齢による認知もかなり進行してきてはいるが耳 元でゆっくりと話せば会話は成立する。納得するように言い聞かせれば、こちらの意志も伝わるのだが 要所要所においては伝わらないことも多々ある。
特にトイレだけはこちらの言うことをまったく聞いてくれない。一日中、トイレトイレを繰り返し、20 回、それ以上、トイレに行きたがる、といってAさんにつきっきりで介護するわけにもいかない。
介護施設には多くの高齢者が入居している。
私を始め介護職員は神経を張り巡らせ事故のないよう、最善の注意を払っている。
他の利用者様の介助に入っているときに限ってAさんは車椅子を自走してトレイに行こうとする。
「もうちょっとしてから行きましょう。他のおばあちゃんたちもトイレ行きたいから」
「そがいにいじめて楽しいか」
「いじめてなんかないですよ。トイレも順番で行くんです。Aさんはたった今行ったばかりやから、ちょっとおいてから行きましょう」
「ここはトイレにも行かせん。こがいにして年寄りいじめよったらあんたはバチ被るで、バチ被り者や! 今んま地獄に落ちるけ!」
トイレに行けない腹立たしさから、職員への毒づきは果てしなく続く。テーブルを叩き、ときに「助けてー」と大声を張り上げ、悪態をつく。トイレだけでなく、
「何ぞ食べさせてや」
「今、お昼ご飯食べたでしょう」
「私ゃもろとらんで」
「たった今食べたやないですか」
「ここはなんちゃぁ食べさせん。年寄り餓死させるつもりで、いけずなとこや」
仕舞いには、
「こんないけずするようなとこはどこにもあらせん!。うちは娘に言うてもう帰ぬる」
いくら認知の入った高齢者だとは思っていても、バチ被り者だの、地獄に落ちるだの言われると気分 のいいものではない。
親身になってお世話しているだけにやりきれなさと苛立ちも覚えていた。
そんなある日のこと、私は仕事上で失敗をしてしまった。
慣れからくる油断で、するべき仕事を忘れていたのだ。それ自体はたいしたことではなかったので、ことなきを得たが、
「それ確かこの前も言ったはずですよ、何回も言わせんでください! 一回言われたらきちんと覚えて 下さいよ、こっちだって忙しいんだから!」
同僚から叱責を受けた。身から出た錆びだとはいえ、かなり心に突き刺さった。年のせいにしたくは ないが錆び付いた老細胞は覚えていたはずのことでもちょっとした油断でつい忘れてしまう。自分自身、 情けない思いに駆られていた。意気消沈しているとそんな私にAさんが言った、
「どがいしたが、えらい暗い顔して」
「いや、別にちょっとね、私が悪いんやけど」
「笑っときなさいや。暗い顔しとったら地獄に引きづり込まれるで」
またAさん定番の地獄が始まったのかと思いきや、
「笑う門には福来たる言うてな、福の神さんが寄ってくるで」
その言葉に思わずAさんを見ると、
「あんたには笑顔がよう似合う、笑顔美人や」
驚き共にAさんを見ると笑顔で頷いている。その瞬間、目の前に広がっていた暗く重たい雲が拭い去 られ、一気に青空が広がった。
いつもは今、トイレ行ったことも今、ご飯を食べたことも忘れる、どの職員にも毒づく、どうしよう もない認知症のボケ婆さんだと思っていたけれど......。
それからでもAさんのトイレトイレは繰り返され、ご飯食べてないも繰り返される。
けれども私の心の中にはAさんへのわだかまりや苛立ちは消えていた。
たとえ認知が入っていたとしても、みんな同じ人間で「心」がある、「心」があるから毒づきもするけ ど暖かな言葉も持っている。
そう、みんな同じ人間なんだ、のあたり前のことに改めて気づかされたから。
「みんな同じ人間」の思いを胸に私は今日も介護の仕事をしている。