【佳作】
私はアレルギー科の医師である。学生時代は医学にあまり興味が持てなかった。医学を学んで医師とし て働いて、自分の人生にどのような生きがいが持てるか希望がなかった。それでも仕事を持たないと社 会では暮らしていけない。そういう曖昧な理由であったが、国家試験前は必死に勉強して国家試験をと おり医師になった。最初は小児科を選んだ。小児科を選んだ理由ははっきりしない。自分は不器用だか ら外科系に向かないし、内科よりは何となく小児科にむいているのではないかという選択であった。小 児科の実態を知らずに将来を決めたのである。
しかし赴任先の研修病院で働いてみると小児科の実態が大幅に違った。小児は急変するので救急も多 く、迅速な処置が要求される。不器用ではやっていけない。更にその病院は未熟児センターも併設してい たので、小児科医が小児と共に未熟児も並行して治療した。従って非常に忙しい。体力もいる。でも私 は未熟児を含めた小児科の臨床に非常に魅せられて夢中になった。昼夜兼行で仕事と勉強をした。すぐ 色々な処置も習得した。器用か不器用は問題ではなく、熱意が決め手であった。熱意があれば難しい処 置の技術もすぐに習得できる。それでも研修医なので、カルテ記載やその他の診療に時間がかかり、い つも病棟に遅くまでおり、時に病院で泊まりもした。しかしこのことは非常に良かった。小児の救急患 者さんは時間外が多い。仕事の時間が終わっても、病院にいると救急の場面をみる機会に恵まれ、大変 勉強になった。
ぐったりして入院してくる子供達が治療で改善して笑顔で走って退院する。家族も喜びにあふれる。何 と素晴らしいやりがいのある仕事と思った。病気の子供達を治すことで、その家族も幸福にできる。そ うして社会に貢献して、社会も喜びを与えられる。自分も満足感をもらえる。十分に睡眠もとれない時 もあり、また朝から晩まで食事もとれない時もある。しかし疲れて、わずかな時間でも睡眠をとり、目 覚めれば仕事に励む。それは生きがいである。毎日が生き生きとして、明日もがんばろうという希望が もてる。仕事は自分が社会の中で生きている実感を味わえ、社会で自分を必要としているという、社会 との一体感を味わえる。それはハードな仕事ほどそうである。もちろん仕事をすることは経済的な面も ある。自分が生活するために必要な収入は獲得すべきである。私は研修医で収入は少なかった、しかし、 仕事に熱中していると、余分な飲食代や遊興代がかからず、勉強に必要な本は買ったが、生活はその収 入で十分であった。
だが小児科での仕事は常に良いことばかりではなかった。悪性の病気で亡くなった子供もいた。未熟 児センターも併設していたので、未熟児で生まれて合併症があり、亡くなった未熟児もいた。そういう 時は本当につらかった。小児科医としての自信も揺らいだ。しかし、私を待っていてくれる子供達がい る。そう思って日々の診療に励んだ。時に仲間との意見が合わないこともあり、口論になった。徹底的に 話し合って、理解して合意した。仕事はそういう紆余曲折を得て、人を成長させてくれる。社会は色々 な考えの人で構成されていて、そういう考えの違いが社会を発展させる。自分が仕事をすることは社会の発展にも寄与するとわかった。また、医師以外の看護師、検査技師、その他の方々とのコミュニケー ションも大切である。医療は一人でするものではない。色々な方々がそれぞれの役割を果たして、総合 的なチームでするのである。そこに人と人との繋がりが生まれ、社会の絆を強くする、仕事は自分と社 会を進歩させるのである。それはまさしく生きる希望である。
その後、小児科の中でもアレルギーに興味があったので、アレルギーを専門にして、更に成人のアレ ルギーにも興味がわき、現在は開業して小児から成人までのアレルギー疾患を診療している。仕事は私 を進化させてくれた。