【佳作】
昭和の時代の中頃社会に出た吾々の時代、働くことは、生活の為、生きていく為、という人間としての最低の必要な事が、第一の目的であり、仕事を選ぶという事は、二番目であった。
ちょうど、高度経済成長が緒につき、早々社会が豊かになり、物が豊富になり、それにつれて一人一人の生活も向上してゆき、働くということは、それを追い続けること、という時代が昭和の終り迄続い た。
限りなく景気が向上していくことはあり得ない、ついに金融から矛盾が始まり、バブルの様になった経済は破綻した。
私は酪農業を業として、社会人になった。学歴を持てば就職に苦労することの少なかった当時、就農することに対し、自分自身では納得し、胸を張っていても、世間や学友に対しては、引け目を感じてい た。
親が職業としていた酪農ということでなく、自分の意志でこの道に入り、社会の経済成長についてい くべく、酪農業の技術、経営の技術を、先進者に学び、乳牛、作物を観察することにより学び、努力し た。
その中から、農業の面白さ、自然の偉大さを知った。
昭和の中頃迄に生れた人間は、何等かの形で自分に割当てられた仕事を務める努力をする。厭でも、つ らくとも耐える、その内仕事が面白くなる、という考え方が出来たのです。
酪農業も、つらく、忙しく、成りたがる人の少い農業でした。しかし真剣に取り組むと、つらい分だ け面白いのです。
科学が発達し、いろいろの物や考え方がつくり出され、それに伴い、職業の数も驚く程多くなり、人 間の身体の頭だけあれば出来る様な仕事が多くなり、コンピューターが高度化し、AIの活躍する時代 も間近なようです。
人間は一人一人異なる心を持っています。
情報を扱う仕事や、サービス業が、国民総生産額の可成の部分を占めるようになっているようです。
しかし、人の数だけ仕事の種類がある訳ではありません。自分にピッタリ合った仕事がめったにある 訳もないし、見付かる訳もないのです。
産業がグローバル化し、世界規模で動いていく中で、産業組織はどんどん大きくなり、コンピューター が主力となり、AIが人間を代行するという時代が間もなく来るのでしょう。
若者が仕事を考える時、何が大切か、平成の時代も終ろうとしている今、昭和の時代の人間が、何を 云っても、過去の事でしょう。
しかしながら、俳人芭蕉が云ったという、不易流行という言葉もあります。
巨大化した組織が、AIを駆使し、仕事をしていく世の中でも、変ってはならない人間の生き方があ る。
それは、人間が人間らしく、自分の意志を持って、生きられるかどうかだと思います。
人間に大切なのは、富だけではない、そう思える社会文化が、社会の隅に迄行き渡った時、そんな社 会になるのでしょう。
「人はパンのみにて、生きるにあらず」
とお思いつつ、貧しさから抜け出す為、時代の流れに結局は乗って来て、一切の仕事から身を引いた今、 あの必死で夢中だった熱が冷め、むき出しになった自分を見つめ、本当の自分はどこに、と再び迷いの 中に入っていくようです。