【 奨 励 賞 】
例えば、ミュージシャンになりたいと夢を描くとしよう。しかし、多くの大人たちは反対するだろう。
そんな夢みたいな事を言ってないで、安定した生活をと。
実際、私も正直不安定さを免れない、ピラミッド下層部アーティストでもある。高校在学の時から漫 画家を目指して弟子入りしたものの、現在はアルバイト兼イラストレーターである。しかも病気持ちで ある。アーティストを目指すなら、病気持ちになる確率は正確には数値として出せないが、朝飯前とで も記憶しておくといいかもしれない。そこの落ち度や闇がないと、当然ながら作品には反映されない。
それは昔から言われている事と何ら変わりがない。経験がないと、作品に良質の脂が乗らないのである。
こうさらさらと記述してしまえば、真実性に真偽が問われるところでもあるが、作品を見て頂く他ない ので、敢えて淡々とする。
しかし、アートな世界にしろ、一般社会にしろ、どちらも経験を重ねた私には、アートを目指すにして も、一般社会の経験は必須のように感じる。漫画家のアシスタントをゴミのように扱う先生もおられる ようだが、一般社会でも同じ事で、日雇いなんかはその代名詞とも言えよう。孤独に打ちひしがれ、理 不尽な思いをした経験こそが、どんな小さな仕事であれ、全ての経験を活かす事ができるのではないか と思う。
夢を追うという事は、孤独から発掘された僅かな濁りのきいたダイヤモンドを探り当てる作業でもあ る。そして、才能のある人間には元から勝てない事を知っておかなくてはいけない。人の能力とは千差 万別であり、自分自身の僅かなダイヤモンドを客観的に認める目、そのオブザーバーというものがなけ れば、物事をただ主観して、受容するだけの人生が待っている。
自分自身の自己判断に迷いが生じる時、私は度々周囲の意見を参考するようにもしている。それは 度々オブザーバーの認識の度合いを測る為でもある。自分はこうしたいと思っているが、果たしてどう 思うか。反対意見が多くても、一人が賛成であれば、挑戦し続けた成果が現れ、周囲を納得させ、結果 的に自己のオブザーバーの認識をより深め、自信にも繋がった経験がある。
幸い、我が家の両親は私の性格を把握した上で、初めから背中を押してくれた。病に倒れた時は、アー トから離れた方がよかったのではないか、と言われたりもしたが、高校を卒業する時の私は、就職する でも、進学する雰囲気でもなかったようだと私の友人は言った。どうしようもなくアートに関わってい たいと思うこの気質は、主観的な自分のエゴの部分でもある。
進みたい道と、進める道というのは異なって来る事もしばしばだが、自分の中のオブザーバーの存在 を認識する事で、将来の目標に向かっての、現実に適った行動が出来るようになるのが、一番望ましい 形であろうと思う。そして、現れた結果の認識の仕方により、充実感や達成感なるものがオブザーバー を通してシナプスに通達され、脳が満たされる、というような構造になっているのではないだろうか。
少年よ、大志を抱け──とは、むやみやみくもにぶちあたる事ではない。寧ろ、冷静なオブザーバー の存在を象徴した言葉のように聞こえなくもない。