【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
誰にでもできる仕事は誰にでもできない仕事
新潟県 古 川 実 記 45歳

「好きなことやってるんだからいいじゃない」

仕事の愚痴をこぼしたとき、友人がこう言いました。彼女は私のことも、私の職業も理解してくれていると思っていました。ゆえに返事に窮するほど胸が痛み、今もまだその言葉に悩まされ続けています。

私は音楽を生業としています。楽器を演奏し、音楽を楽しみたい学びたい人を教え、手助けすることは、思うほど単純なことではありません。

けれども音楽は娯楽です。それがなければ生活に困るわけでも、ましてや死んでしまうわけでもありません。外から眺めれば、それは「正しい仕事」ではなく、趣味の延長にしか見えないこともあるのだ と思います。

だからといって、仕事上で理不尽な扱いをされてもいいのでしょうか? 好きなことで生きようとする人は、不当な条件も黙って飲み込まなければならないのでしょうか?

演奏家は「練習しないと演奏できないの?」と驚かれ、画家やイラストレーターは「絵の一枚くらいチャチャッと描いてよ」と言われ、サッカー選手は「毎日ボールを蹴るだけでお金がもらえるなんてい いよな」と言われる。

これらの会話の裏には、「何の苦労もなく」「遊びの続きで」「たいした時間もかけずに」稼いでいるのだろうという「思い」が透けて見えます。

 

日本では、残業が推奨される時代がありました。定時で退社する人はやる気がないと見なされ、残業する人は仕事熱心だと信頼されました。当時は、残業代を自慢し合えるほどの金額が稼げたこともある と聞きます。

日本人の勤勉さは海外では有名です。それどころか日本人自身も、そのことを誇りに思っている節があります。でもこの「勤勉さ」とは何でしょうか?

日本人は仕事に対して誠実で、丁寧で、正確です。これは海外に住んでいた経験からも実感しますし、日本人のすばらしい点だと思っています。けれどもこれは「勤勉」とは違います。ここでの「勤勉さ」 とは、「休むことなく働き続けること」なのです。

欧米には長期のヴァカンスがあって、これが人々の楽しみでもあるわけですが、日本にはそんなシステムはありません。欧米人は「日本人は何であんなに働くのか」と疑問に思い、日本人は「休みが続く と何をしていいかわからない」と不安に思う有様です。これはもう国民性や風習の差なので、どちらが 良いとか悪いとかという問題ではありません。ただ日本では、知識や技術ではなく、この「働いた長さ」 で評価する傾向が強くはないでしょうか?

 

「それは誰でもできる仕事」

そんな一文がニュースになったことがありました。その通りだと思います。世の中にある仕事の大半は、「誰にでもできる仕事」でしょう。しかしそれと同時に、それらは「誰にでもできない仕事」でもあ るはずなのです。

私たちがひとたび職業を選択すれば、それに対する知識を深め、技術を磨く必要があります。コンピューターを扱おうと、田畑を耕そうと、教育に携わろうと、物品を販売しようと同じです。スポーツや 芸術も同様で、それが仕事として成り立つのは、価値を見出してもらえるだけの技術を身につけたから です。どんな職業であれ、一朝一夕で「一定の質のもの」を提供できるようには決してなれません。私 たちの目の前にあるのは、研鑽と努力を積み上げた結果なのです。だとすれば、「誰にでもできる仕事は 誰にでもできない仕事」ではありませんか?

冒頭の友人は大手企業に勤め、私とは比較にならないほどの報酬を得ていました。けれど仕事に対しては不満を募らせていました。だからこそ「好きなことをしている」私の愚痴が許せなかったのだと思 います。

もし、「目に見えない時間と労力」を費やして手に入れた知識と技術に敬意が払われるとわかれば、報われる人は少なくないでしょうし、その向上に努めようとする人も出てくるでしょう。

今こそ、「働いた時間」に加えて「技術」に目を向けてほしい。それが有能な人材を生み出すことにつながると信じています。

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