【 奨 励 賞 】
短大卒業後、私は社員3、4人の小さなデザイン事務所に勤めた。
そこは小さなタウン誌を自費で発行していて、「雑誌をデザインする」という片田舎では夢のような仕 事に憧れて入社したのだった。
ところが、入社してまもなく編集長は私に「取材に出てみないか」と勧めてきた。私はそれも面白そ うだとやってみることにした。
取材というと緊張するが、私にはおしゃべりの延長線上のようで思いの外、楽しかった。
が、問題は原稿書き。もともとデザイナー希望の私に、文章作成の素養があるはずがない。雑誌を読 みあさり、文字通りのたうち回りながら書いた。
編集長は何も言わなかったが、できた原稿は決して褒められた文章じゃなかったと思う。
それでも会社に取材ライターが少なかった事情もあり、私はライターの仕事をすることが多くなった。
もちろん、原稿の腕前はそう簡単に上達しなかった。
掲載した自分の記事を読んで、うぎゃーっと悲鳴を上げたくなることも数知れず。書けば書くほど文 章の難しさに打ちのめされ、ライターには向いていないのではないかとひそかに転職を考えるように なっていた。
そんなある日。私が取材した某ウインナー工房の社長が事務所を訪れた。
その工房は食材の安全はもちろん、人材の雇用スタイルにまで独自のこだわりを持っていて、それを 伝えるのに私はずいぶん苦労して記事にした。
特に困ったのはトビラのコピー。取材で思い至ったことがあったのだが、ふさわしい言葉が見つから なくて、またそれが本当にその人たちの思いなのか確信を持てなくて、ほんの5、6行のコピーに何時 間も思い悩み、夜中の3時までかけて書いたのだった。
そんなふうだったから、当の社長から記事の感想を聞くのも恐ろしく、内心逃げ出したい気持ちだっ た。
ところが、社長は取材のお礼の後、驚くことを口にした。
「トビラに書かれたコピーは、まさに弊社のポリシーそのままでした。一生大切にするから、このコピー をぜひ弊社パンフレットに使わせてもらえないか」。
それは駆け出しのライターが、生まれてはじめて仕事の手応えを感じた瞬間だった。うれしかった。
同時に、ほんの5、6行の文章に何時間もかけて考えた不器用な自分のやり方が、決して間違ってい なかったことを教えてくれた。
あのとき、「タウン誌のコピーなんだし、無難に書いてさっさと終わらせてしまおう」「小手先でまと めて、さっさと寝てしまおう」と、私の中の悪魔が囁きかけ、何度も仕事を放り出したい気持ちに襲わ れた。
それでも、頑張っている工房をきちんと紹介してあげたいという熱い思いがそれを許さず、なんとか 粘ることができたのだった。
私は自分の努力が報われた喜びのあまり、無償でそのコピーの使用を許諾した。
それ以来、私は原稿書きがそんなに嫌いじゃなくなった。
そして原稿にはムダとも思えるほどの時間をかけ、じっくりと考えて書くようになった。たったひと つの自信が、私を大きく変えてくれたのだ。
その出来事から30年以上経つ今も、私はなんとかライターを続けている。
今もやっぱりデキの良いライターではないけれど、あのとき得た教訓から「決して手抜きはしない」 というのが、私の信条になっている。
そして、そのウインナー工房のパンフレットには、なんと今もまだ私のコピーが使われているのだっ た。
私は街でそれを見かけるたびに当時のことを思い出し、ライターとしての気持ちを引き締めている。