【 奨 励 賞 】
私の母は、昭和9年生まれ。当時では珍しい職業婦人だった。保育専門学校を卒業してから40年。保 母として、定年まで勤め上げた。
私は幼い頃から、ずっと鍵っ子だった。小学校時代に仲良しだった同じクラスのA子ちゃんの家に遊 びに行った時、専業主婦だった彼女のお母さんは、いつも手作りのお菓子とホットミルクで私をもてな してくれた。
「おうちにお母さんがいるって、なんて幸せなんだろう」
私は彼女が羨ましくて、自分の境遇を恨んだ。そして私が高校一年の時、交通事故で、一ヶ月ほど入院 したことがあった。その時も私は病室で毎日一人ぼっちで、ご飯を食べるのも、トイレに行くのも、す べて自力でやるしかなかった。
ある日、私はとうとう爆発した。
「自分の子どもと他人の子どもと、お母ちゃんはどっちが大事なん?」
泣きながら母に抗議する私に、母は悲しそうな顔をした。
「あのな、世の中って、きれい事ではすまんのよ。お父ちゃんが病気で働けんようになった時、お母ちゃ んが仕事してたら、何とかあんたを食べさせていける。そしてもしもお父ちゃんのことが嫌で嫌でたま らんようになった時は、お金のことなんか考えんと、あんたを連れて離婚もできるんよ。あんたも将来、 家庭を持ったら、今のお母ちゃんの気持ちがわかると思うわ」
当時の私には、母の話は右から左に流れていった。
その後、私は大学で中学校の教職免許を取得し、臨時教員を経た後、夫と結婚し、それを機に専業主 婦になった。その頃の私は、あの頃の寂しかった思い出から抜け出せず、自分の子どもだけにはそんな 思いをさせたくないと、仕事を辞めることにまったく迷いはなかった。
でもあれから長い長い歳月が経った今、母のあの言葉が何度もよみがえってくる。
結婚生活が続く中で、私の心の中でいろいろな葛藤が生まれた。
夫と意見が食い違い、喧嘩になったことも何度かあった。でも私には、どんなに腹が立っても悔しく ても、自分に離婚という選択肢はなかった。一時の感情に任せて、子どもを巻き添えにして家を飛び出 したとしても、たちまちお金に窮することは一目瞭然だ。子どもが大学に行きたいと言った時、お金が ないという理由で諦めさせるようなことは、絶対にしたくなかった。自分に稼ぐ力がないのなら、自分 はこのまま我慢するしかないのだ。
その現実に、いつも突き当たっていた。
A子ちゃんと大学時代に会ったことがあった。彼女はすごく勉強が出来たのに、高卒で就職した。お 父さんの会社が倒産して、大学に行くお金がなかったのだという。彼女は私と別れ際に呟いた。
「あなたはいいわね。お母さんも働いてるから。私も大学、行きたかった」
彼女のその言葉の重さがわかるようになったのは、私の息子が高校生になった時だった。
私は今になって思う。私が当たり前のように大学に行けて、勉強はそっちのけで、楽しい楽しい学生 生活を謳歌できたのは、母も働いてくれていたお陰かなって。
寂しいと感じる期間なんて、80年余りの人生のうちの、ほんの1コマに過ぎない。私はその1コマを 我慢しただけで、その何倍、何十倍の恩恵を受けられた。
これからは、女性も仕事を持っていた方がいい。夫にもしものことがあった時に、経済的に家族を助 けることができるし、離婚という選択もできる。そして一生シングルでいることもできるから!