【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
一生挑戦
京都府 前 田 哲 59歳

私は高校生の時から3つの仕事が頭にチラついていた。しかし、口にするのを憚り、心にずっと秘め ていた。

大学時代は楽しく過ごしたが、ついに4回生になり、周りが就職活動をはじめると、就職をしなけれ ばならないと焦り始めた。アルバイトについては、家庭教師から、荷物運び、喫茶店の店員、プールの 監視、キャバレーの呼び込みなど経験は十分に積んだ。しかし、将来ずっと続ける仕事となると、どうしたらいいかわからなかった。悩んだ挙げ句、高校時代の3つの夢のどれかを実現させようと、真剣に 向き合ったのだった。しかし、なかなか1つに絞りきれない。そこで、大学の学生課に相談しにいった。

ところが、第1志望は...、第2志望は...とありきたりの質問をされたので、私は相談するのを止めた。そ れが、ほしい答えではなかったのである。

私は歪なことを考えた。

一生1つの仕事に縛られるのが嫌であった。一つの仕事を続けようとは思わなかったのである。つま り、3つの夢を何らかの形で全部経験したいと思ったのである。

失敗しても構わないから、やりたい仕事、好きな仕事をやる。世間では、終身雇用制、年功序列がま かり通っている時代で、転職はフラフラしているので、悪いイメージしかなかった。しかし、私は心に 決めた。1つの仕事ではなく、1度この世に生まれたのなら、好きな仕事を全部やってやろう。期間を 決めて、満足するまでやろう。満足したら、次のステージに行く。そう考えたのである。

これが私の出した結論であった。

商社マンになり世界を飛び回りたいと思っていた。大学は経済学部であり、就職には有利であった。

1番手の届きそうな夢である。また、教師にもなってみたいと思っていた。そのため、教職課程を履修 していたのである。さらに、人に使われたくない。また、ちょっと文章を書くのが好きだからとかいう 理由だけで、作家にもなりたいとも思った。

そして、動き出した。

私はまず商社に就職しようと、商社関係の会社訪問をし、数社を受けて、その一つにうまく就職でき た。本社は大阪と東京だが、赴任先は九州熊本であった。しかし、全力でやらなければ意味がないと考 え、必死に働いた。残業を好んでして、休みも返上して頑張った。アルバイトの経験は役に立たなかった。

自ら望んで努力するのは、ブラック企業とは違う。バブル崩壊前で、とにかく、景気は良かった。忙し すぎて、遊ぶ暇はなかったが、給料は破格的によかった。営業成績は良い方で、新規開拓賞などもいた だいた。気がつくと5年がたとうとしていた。

その頃、地元(京都)で、一年後に私学の新設高等学校が開校されるという情報が転がり込んできた。

商社マンの仕事は正直面白かったが、十分満足し、これで一区切りするべきだと思った。会社に勤めなが ら、教師の勉強をはじめた。会社生活と受験勉強の二重生活は苦しかったが、この機会を見逃さず、採 用試験を受けた。偶然にも合格したのである。学校の立ち上げに参加することができたのは嬉しかった。

目標を持つとどんなことでも押し切れるのは、人間の強みであることを悟った。

しかし、教師生活も20年になろうとしたとき、再び、ある大学法人が高校を新設するということにな り、転職を薦められた。年齢は49歳になっていた。地元の友だち、大学の友だちなど周りの人間は、す べて反対した。しかし、私は新設校の立ち上げに頑張ることにしたのである。今の学校に勤めて10年が たった。教師生活も30年がたった。生徒とともに泣いたり、笑ったりしている毎日である。

しかし、これでは終わらない。まだ次のステージが待っている。私は教師生活を退職後、この年になっ ても、作家になって活躍していることを夢みている。

若者へのメッセージは、失敗しても構わない。人に何と言われようと構わない。やりたいことをやれ。

私の合い言葉、「生涯挑戦」である。

戻る