【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
働くことの喜び
石川県 西 野 正 信 63歳

私は、働くことが好きではない。毎朝早く起きないといけないし、職場では大嫌いな上司に対しても、 それを悟られないように接しないといけない。そして、何より仕事は面倒だ。

そんな私が教員として働きだした頃、私のような教員は、「でもしか先生」と揶揄された。

他にやりたい仕事もなく、「教員にでもなるか」、「教員にしかなれない」と消極的な動機から教職に就 いた人たちを指した言葉だ。

私も、生きるのに必要な資金を得るために仕方なく働き出した、というのが本当のところだった。

それでも就職が決まったときには、学園ドラマの主人公のような先生に憧れた。生徒から信頼される 先生になりたいと思ったものだ。

ところが、いざ教職に就いてみると、大変だった。学校は荒れ果て、授業中でも紙飛行機が舞い、教 室から勝手に出ていく生徒もいた。

私が注意すると、「キモイ」「死ね」などと暴言を吐かれ、暴力まで振るわれる日々だった。生徒は誰も 私の言うことに耳を貸してくれなかったし、トラブルが起きても、ドラマのように簡単に解決しなかっ た。

保護者は、そんなクラスの状態を担任の責任と決めつけ、私を責めたてた。私は、生徒と保護者の両 方から責められ、もうどうしていいかわからなくなった。そのため、何度辞めようと考えたかわからない。

あれから三十八年の月日が流れ、今思うのは、仕事を辞めなくて良かったということである。つらい ことも苦しいこともたくさんあったが、楽しいことや喜びもあった。

今から考えると、働いていた時は、毎日が充実していた。毎朝早く起きて学校へ行くと、さっそくト ラブルの対処に追われ、そのままあっという間に一日が過ぎた。帰宅が夜中になることもあったが、生 徒も次第に心を開いてくれるようになった。

行事の時は、生徒と一緒になって応援し、喜びを分かち合った。卒業する頃になると、生徒は涙を流 して感謝を伝えてくれた。私も、そんな生徒との別れを一緒になって惜しんだものだ。

次第に私は働く喜びを見出し、人一倍働く先生になっていった。

働いている時は、「苦しみの中に喜びがあり、喜びの中に苦しみがある」といった感じだった。苦しみ を通して互いの理解が深まり、次第に喜び合える関係になっていったと思う。

その意味では、苦しみがあったからこそ、喜びを味わうこともできたと言える。

苦しみと喜びは、所詮一枚のコインの裏表にすぎないのかもしれない。苦しみを避けて、喜びだけを 得ようとしても不可能である。

退職をした今は、苦しみもない代わりに喜びもない。ただ空しく時間だけが流れているような気さえ する。

今頃になって、必死で頑張っていたあの頃を懐かしく思う。くたくたになって働いていた、あの頃に 戻りたいと思う。

しかし私はもう、あの頃に戻れない。

若い人たちも、いずれ私と同じように定年を迎える日が必ず来る。その時になって後悔しなくてもい いように、精一杯生きて欲しい。

失敗から学ぶことは多い。失敗は挑戦の証である。失敗を恐れずに、自分なりの判断を信じて生きて 欲しい。そうすれば、やがて後悔の少ない、納得のいく人生を送れるようになるのではないだろうか。

仕事の喜びややりがいも、働く過程の中で自然と見出していけるものではないかと思う。

今は、若い人たちの前途に幸多かれと願うばかりである。

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