【 奨 励 賞 】
仕事を考えるテーマに趣味をくっつけるのは不謹慎だろうか。私は前期高齢者の仲間入りをした65歳 である。60歳の定年迄の大半は機械設計のエンジニアとして働いた。現在は別会社、別業種で契約社員 として働いている。
今振り返ると私の場合、一般の人とはかなり異なる形で仕事にかかわってきたといえる。
私が就職する時には仕事に何ら目標も希望することも無かった。何故なら私は九州の山間部で農家の 次男として生れた。中学卒業してすぐに何も知らぬまま阪神間の会社へ就職する。中卒者が金の卵とも てはやされた最後の世代だろう。15才の田舎の少年にとって都会で働く現実味はまったく無かった。
私の実家は不便な所で、小学校迄はバス便無し、坂道ばかりで徒歩通学片道1時間。中学校だとさら にその倍かかった。イヤな野良仕事を手伝いながら、遠い高校へ進学する選択肢は私には無かった。た だ学校は嫌いではなかったので定時制高校へ行かせてもらう条件で就職する。
職種は旋盤工。汗と油にまみれ、仕事中、時間の経過が遅く感じられ、まったく面白くなかった。慣 れぬ仕事と寮生活、そして夜学はしんどかったが田舎と違って通学は便利で楽だった。
この状況下で自分の趣味が幸運をつかむことになる。高校入学して3ヶ月目に校内の生活体験発表会 (弁論大会みたいなもの)に出場して1年生ながら入賞する。元々、読書や作文を書くのが好きだったか ら出たのだ。保護者が会社の人事課だったのですぐに会社へ知れた。その後も社内報や新聞、雑誌へ投 稿する。これが影響したかは定かでないが2年目の春に高学歴者ばかりの設計部へ人事異動となる。中 卒者は私だけだ。定時制が工業系だったので会社でも、学校でも機械関係の知識を得ることになる。仕 事は楽しかった。
そしてここでもう一つの大きな趣味を得る。職場の人から神戸の背山である六甲山へ誘われたのだ。こ れが私の登山との出会いだった。
田舎を彷彿させる山にひかれ、登山の虜になる。何度か誘ってもらったがいつしか地図を片手に単独 で多くの山へ登り始める。登山の面白味がわかってくると仕事に対する取り組みも意欲的になるから不 思議だ。
登山を本格的にやりたくて山岳部のある夜間大学へ進学。大学が遠く勤務先は定時より20分早く退社 出来るよう配慮してくれた。講義、部活を終え寮へ帰るのは毎日深夜0時をまわっていた。休日毎に近 くの六甲山で岩登りやボッカ訓練。連休には北アの岩や雪の山へ取り付いた。2回生の時は海外の山へ 山岳部員として登った。為替レート1ドル360円が変動性になった直後で海外旅行はまだ珍しい頃だった。
しかし、何かと良くしてくれた勤務先は在学中に希望退職を募集する。
個人的には広範囲の設計技術を身に付けたい考えから周囲の人々へ感謝しつつ希望退職に応募。設計 事務所へ転職。20代後半に知人の紹介で食品機械製造メーカーへ移る。この会社は残業は少なく地元の 社会人山岳会へ入会。この会社で定年を迎えたが仕事も登山活動も充実していた。仕事では語学は不得 手なのによく海外出張を任される。登山面では山関連本を何冊か出版。日常トレーニングもよくやりフ ルマラソンも何回か出場した。
しかし一番の収穫は山で知り合った妻と結婚出来たことか?。
定年後は趣味を売りに旅行会社で登山ツアーガイドを経験出来たのは出版本のおかげである。
現在は通勤のマンション管理人をこなしている。多くの人との出会いは楽しい。登山はまだ現役だ。仕 事に趣味という隠し味をまぶして巾と潤いのある人生を謳歌するのは痛快だと思っているのだがいかが だろう。