【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
強い思いとたゆまぬ努力で夢は叶えられる
愛知県 松 下 智 治 70歳

私は教員を38年間勤めましたが、小中学校の同級生に会うと、誰もが驚きます。勉強せずに遊び回っ ていたから当然のことでしょう。教員を目指すようになったのは工業高校電気科入学後です。中学校を 卒業するときは、大学への進学は考えていませんでしたので、親の「脚光をあび始めた電気の勉強をす れば、就職に困ることはない」という話を聞いて決めました。

ところで、子どもの頃の私は、父が建具職人で、家で仕事をしていたことから、よく木の切れ端をも らい、物をつくって遊んでいました。電気実習が、これと相通じるところがあったのでしょう。興味を 持ち、先生の話をしっかりと聞いていると、当たり前のことですが、よく分かり、楽しく、電気のこと をもっと知りたくなって、電気理論などの専門教科の予習や復習を行うようになったのです。その結果、 自分でもびっくりするような良い成績がもらえ、国語や数学などの一般教科も頑張るようになりました。

3年生で進路を決めるときは、同級生のほどんどが就職する中、子どもたちに私と同じ思いをさせたい と考え、教員を目指しての猛勉強の結果、教育大学への入学を果たし、夢実現へ駒を一歩進めたのです。

大学卒業後は迷うことなく教員になりましたが、子どもの頃に勉強しなかったつけがまわってきたの は予想外のことでした。赴任したのは中学校で、先ず困ったのは、文章を書くことでした。担任がな かったので通知票の所見は書かなくて済みましたが、他にも書く機会はありました。最初に頼まれたの は学年通信の原稿で、なかなか書けず、学年主任の指導でやっとできたことを思い出します。それから は、気づいたことをその都度メモしたり、思っていることをありのまま気取らずにまとめたりすること で負担を感じることが少しずつ減って書けるようになりました。今では書くことが大好きになり、この ようなエッセイに応募したり、新聞へ投稿したりしています。

漢字の書き順が滅茶苦茶だったことでも苦労しました。中学校では何とかごまかせましたが、二つ目 の学校は小学校でしたので、書き順を教えなければなりませんから、そんなわけにはいきません。国語 の授業を行う前には、新しく習う漢字だけでなく、教科書に出てくるすべての漢字の書き順を確認しま した。1年間続けることで担任した4年生が、この学年までに習う漢字の書き順はほとんど覚えました。

その後も、常に教えていただくという気持ちと、人生は一生勉強であるということを肝に銘じることで 教員生活を無事に終えることができました。

教員を定年退職するときは、関心のあった花と緑に関わる仕事に挑戦しないと後悔すると思い、再任 用を断り、高等技術専門校造園科へ入校し、剪定の技術などを学びました。決断をするとき一番不安に 思ったのは体力がなかったことです。デスクワーク中心の仕事をしていたので、夏休みに職員作業で草 刈りを2時間もやれば、後はぐったりして何もできなかったということがあったからです。だが、専門校 に入校後、指導をしてくれた先生が私達の様子を見ながら、休息を適宜とってくれ、仲間と励まし合い、 協力することで、体力は少しずつき、修了式を迎える頃は1日中脚立に乗って剪定できるようになりま した。専門校修了後は、習った技術を生かせる動植物公園へ就職しました。高所での剪定もあり、足が 竦みましたが、回数を重ねることで恐怖心は少しずつ和らぎました。この職場には4年間勤めて退職し、私の賃金を目的に働いた42年間の人生に幕が閉じました。

教員にしても、庭師にしても、就くまでの道筋は異色で、うまくいかないのではないかと危惧したこ ともありましたが、人間はよくできています。やりたいと強く思い、たゆまぬ努力を重ねれば夢が叶え られ、仕事は続けられることが分かりました。周りの人の協力や支援があったことも見逃すことはでき ません。素晴らしい仲間に恵まれたことに感謝して、今は少しでも恩返しができたらとボランティアで 知人やお世話になった学校のマツなどの剪定をしています。

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