【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】
変人。きちがい。自分勝手。昔から言われてきた。周りからも。親からも。誰も傷つけたわけではないのに、その度に悩み、苦しみ、悲しんだ。でも自分の直感を信じ、どんな時も自分の信じる道を進んできた。人と違う道を進むとたくさんの失敗もあるし、それだけ親の期待を裏切って、また悩み、苦しんだ。でも結局は、自分の選択に自分で責任を持ちたいし、その意思決定を後悔したくないから、ずーっ と自分の信じる道を生きてきた。今ならわかる。自分に素直に生きてきて本当に良かったって。今、自分はアメリカで起業をしようとしています。人生をかけた大挑戦。でも不安はなく最高に幸せです。
実は小さい頃から親には医者になれと言われていた。一番安定して暮らせるからかな。自分はその道しか知らず、嫌々勉強して気付いたら進学校に入学していた。でもそんな環境に馴染めるわけもなく、渋谷に駆り出し髪は金髪に染めていた。染めた日の母の慟哭は忘れない。でも渋谷で同じような境遇の仲 間に出会い、そして居場所を見つけ、最高の毎日を過ごしてた。
そんな都市空間の人を豊かにする魅力に惹かれ、気が付けば建築学科に進んでいた。自分がそうだったように、人が豊かになれる居場所を作りたい。そんな思いで全力で努力し、気がつけばたくさんの賞を受賞し、夢の建築家に一歩一歩近づいていた。親は自分に誓いを立てさせた。少なくとも一級建築士をとるようにと。自分の所得の安定を思ってのことだろう。もちろん異論はなかった。
しかし、絶望が襲う。ベトナムの世界的な建築家のもとでインターンをしていた時に住んでいたスラム街は、建築家が理想とする近代都市とは掛け離れた世界だった。しかし、そこには自分が生まれ育った東京の郊外には全くない豊かな人間関係が存在していた。それに気付いた瞬間に建築家にはなれなくなった。建築家のいない前近代社会の方が人間は豊かなんじゃないか?そんな疑問が湧き上がり、社会について理解を深めるべく大学院は文系にすすみ、経済と政治を勉強している。また親の期待を裏切った。
大好きな建築をやめてもベトナムで見た住民主体の空間形成の在り方をなんとかして実現しようと模索した。ひきこもって設計に励んだ学部時代とは打って変わり、とりあえず社会を見つめるために、外に出た。宮崎でのフィールドワーク、兵庫でのソーシャルビジネスの起業、シリコンバレーインターンなど、思いのままに行動した。すると驚くことに、社会の波に流されず、誰に何と言われようが自分の道を貫き、そして楽しく生きているたくさんの人々に出会えた。その瞬間思った。自分は間違ってなかったと。ここに幸せがあるって。
自分を貫いて生きるのは怖い。人と違う発言をすれば非難される怖さもあるし、なんなら友達すらできない可能性もある。それが同調圧力っていう日本社会、いやどこの社会にもある現象だと思う。でもその先にあるのって何。周りに合わせて同じように勉強して、同じように就活して、ふるいにかけられ、 評価と生活のために働く。普通に生きてたら、きっとその道しかなくなるのがいまの社会なんだと思う。先生も親も周りも多くの人がそれを強制するから。
でも今ならわかる。自分を貫いた先にある世界。自分を信じられれば、人も信じられて、人を信じられれば仲間ができる。仲間ができれば、活動に繋がり、活動が広がれば、自然と経済も動き出す。自分のやりたいこと突き詰めて、そしたら自然とお金に繋がって、そしてご縁に感謝して、人からも感謝される。そんな奇跡の出会いと出来事が積み重なれば、心は磨かれ、感性は研ぎ澄まされ、気付いたら、人を空間で豊かにするアイデアが出てきたので、起業する。やっと自分を信じ、大切にすることができました。人生って最高です。なんだかんだ言っても自分をこの世に産んでくれた両親に感謝して、また自分の道を進みます。これが自分の人生観。